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娘として、母として – わたしのクローバー


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三濱かずゑ(臨床心理士・天理教教養室(修養科)世話掛)
1975年生まれ

何が原因だったのかは忘れましたが、その日、私は生まれて初めて家出を考えました。10年前の初夏のこと、夕食後に近くのスーパーへ買い物に出かけ、レジに並んでいる間に、ふと「家に帰りたくないな」という思いが頭をよぎったのです。

まさかの展開

そのとき突然、母方のいとこからメールが届きました。

「祖母の意識が低下。すぐ病院へ」

私と同じ天理市内に住む92歳になる祖母は、少し前に転んで骨折し、入院中でしたが、体力がだんだんと衰えてきていました。新潟から急ぎこっちに向かっているであろう両親に代わり、私は病院へ車を走らせました。母の兄弟たちは、既に病室に集まっていました。

祖父に先立たれて8年。誰からともなく祖父母の思い出話が始まりました。祖母は幼いころに両親と弟を亡くし、親戚の家で育ちました。9歳年上の祖父を婿養子に迎え、母を頭に7人の子供を産み育てました。不遇ななかでも、先祖から受け継いだ信仰を心に治め、後の世代に伝えようと努めた生涯でした。

容体が落ち着いた夜8時前、今日のところはいったん解散しようとなった矢先に、呼吸が少なくなり、そのまま静かに息を引き取りました。苦しむ様子もない、見事な「老衰」でした。

その後、病室で慌ただしく葬儀の相談が始まりました。思いもよらず最期に立ち会った私は、叔母と二人で祖母の体を拭き、着替えを手伝い、病院の裏口から霊柩車を見送りました。家に戻ったころには日付が変わっていました。

こうして私の家出は未遂に終わりましたが、お弁当用のコロッケを温めながら、病院での思い出話に出てきた祖母の口癖を思い出しました。

「人間、なんやかんや言うてもな、不足に思ったほうが負けやで」

今の私に言われた言葉のような気がしました。

残された時間

イラスト・ふじたゆい

そういう年齢になったのか、近ごろ、お世話になった方々や友人の親御さんの葬儀に参列する機会が増えました。喪主のあいさつや、ご遺族が語る故人のエピソードに、子や孫、信者さんたちを導きながら、信仰の喜びを伝えてこられた様子が目に浮かび、心が洗われます。

この春に会長を譲り、教会の留守番役となった父と、「終活を始めている」という母。学生時代から親元を離れて暮らしてきた私には、両親と過ごした時間も思い出も、そんなに多くはありません。

老眼鏡が手放せなくなった私を、「急速におばあちゃん化している」と笑うわが家の4姉妹は、私の亡き後、一緒に過ごした時間や交わした言葉の中から、どんな場面を切り取って、後世に伝えてくれるのでしょう。

そう考えると、残された時間は決して長くはありません。家出している暇なんて、もうないのです。

今度親と会ったときには、ゆっくり話を聴いておこう。そして家の中では、なるべく笑顔で、陽気に暮らしていくことにしよう。

祖母の死から10年の節目を迎え、娘として、母としての自分のあり方を、見つめ直しているところです。


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