シンプルな言葉の内に – 成人へのビジョン 49
2026・9/23号を見る
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「こどもおぢばがえり」の引率に当たるたびに、神様の教えを子供たちにどう伝えようかと四苦八苦します。
海外で神学を修めた牧師が、本教を次のように評したそうです。「天理教の教えは本物だ。なぜならシンプルだから」。シンプル=本物との式が成り立つのか、それは分かりません。けれど、私はそこに惹かれます。
神様の教えはシンプルです。だからこそ普遍性をたたえている。反対に、細目化すればするほど、漏れ落ちがないよう言葉は増殖し、きっと論理や説明がその大半を占めていく。それは頭に働きかけこそすれ、琴線に触れる語りからは遠ざかるかもしれない。そして、語られていないことは、教えの「空白地帯」のように映るかもしれません。
シンプルな言葉こそ、内に多くを宿す。私はそう思います。逆説的ですが、際限なく説かれた教えより、シンプルさの内にこそ、無限が広がっているのです。
私は子供たちに何を話そうかと考えました。教理を説明しようとすればするほど、言葉は増えていく。そんなとき、ふと、自分が子供のころに親から言われたことを思い出しました。
――みんなお父さん、お母さんからいろいろなことを注意されるでしょう。どんなことを言われる? 「歯磨きした?」「ちゃんと挨拶するんだよ」「宿題した?」。そうだね。僕もよく言われた。では、そのすべてに共通することって何かな? なぜ歯を磨くの? なぜ挨拶するの? なぜ、なぜ、って、それをずーっとさかのぼると、究極的には「幸せになってほしいから」なんだよ。虫歯が痛くてたまらない、人に挨拶をしない、それで幸せになるのは、ちょっと難しいかもしれないね。
親が子に伝えることは、突き詰めると、子の幸せを願ってのことです。短い言葉の奥には、いつも大きな願いがある。
親神様の教えもそうです。いんねんの教理も、たんのうの教理も、ひのきしんも、すべて「陽気ぐらし」という一点へと収斂される。「難しい事は一つも言わん」(おかきさげ)。親は多くを求めない。大事なことだけ、です。
「いまからするお話は、すべて子の幸せを願う親神様のお話です」、そう伝えてから、私は話し始めました。
それは、同じ親の教えを少しだけ先に受けた兄からの、弟たち、妹たちへのレクチャーです。
可児義孝・河西分教会長









