寒明けに紅梅華やぐ 共に行路を歩む存在の大きさ – 逸話の季
2026・2/25号を見る
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立春が過ぎて少し寒さの緩んだ日の朝、いつもは自動車で移動する距離を歩いて訪ねてみました。暖かい日差しが足取りを軽やかにしてくれます。それに今日は、一人ではなく妻と二人で歩いています。遠い道のりも話し相手がいれば、全く苦になりません。いつもは気にも留めない野の花も、妻に名称を教えてもらうと特別な花のように見えます。やはりこんな日は、誰かと一緒に歩きたいですね。
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明治15年の春、妻まさを撫養の家に残し、大阪の三軒屋で単身布教をはじめた土佐卯之助は、ある日、お屋敷で草引きをしていました。すると、教祖がニッコリほほえみながら、「早よう大阪へおかえり。大阪では、婚礼があるから」と仰せられます。謎のようなお言葉に当惑しながら、大阪の下宿へかえると、妻のまさが来ていました。大阪で嫁をもらう花婿とは自分であったかと、教祖のお言葉の真意を悟った卯之助は、もう一度、国へかえって苦労の道を通る覚悟を固めます。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「九九 大阪で婚礼が」
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いつの間にか還暦を過ぎ、ふと振り返って人生の行路を顧みるとき、共に歩んでくれたパートナーの存在の大きさをあらためて感じます。その道は、山あり谷あり。急勾配の坂道を全力疾走した日もあれば、穏やかな道をゆっくり歩いた日もありました。とはいえ、若いころは人生の方向性がなかなか定まらず、暗中模索の日々を送った私の場合は、途中から遅れを取り戻すために必死で走り続けました。
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あまり家庭を顧みる余裕はなかったような気がします。それでも、なかなか前へ進めないときに伴走するだけではなく、ときには背を押してくれた伴侶の存在が、いつも滞りがちな足を一歩前に踏み出す力の源になってくれました。
家族や夫婦のかたちは、人によってそれぞれ違うでしょう。とはいえ私の場合は、この人生に、このパートナーがいてくれることの幸せを、特に最近は日々深く噛み締めています。
文=岡田正彦








