天理時報オンライン

たすけ一条の道、つとめとさづけ


紙面レイアウト
で見る

上田好美(京伯分教会長夫人・48歳・鳥取県米子市)

私の実家は、もともと仏教を信仰していました。家には仏壇があり、幼少から、ご先祖さまを大切にすることや地獄・極楽の話など、仏教の教えを聞いて育ちました。

中学生のころ、あるよふぼくから母ににをいが掛かり、私も母の勧めで、その方の家へ行くようになりました。私がおつとめのちゃんぽんを教わったとき、その方がとても喜んでくれたことに、正直、驚きました。というのも、当時私が通っていた仏教系の女子高には、「おつとめ」と呼ばれる、お経を読む時間があったのですが、おつとめで人に喜んでもらった経験がなかったのです。その後、だんだんとお道の話を聞くうちに、教祖が世界中の人間をたすけるために教えてくださった、おつとめの大切さを知り、あのとき喜んでもらえた理由が初めて分かりました。

その後、縁あって教会に嫁いで22年になります。

昨年9月、大教会で行われた女鳴物の講習会で、講師から胡弓の弾き方の癖を指摘されたのですが、なかなか修正できずにいました。それでも「稽古出来てなければ、道具の前に座って、心で弾け。その心を受け取る」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』五四「心で弾け」)とのお言葉を思いながら練習に励むうちに、だんだん手になじんで弾けるようになり、大教会の秋季大祭では、皆さまと共に一手一つに溶け合って、陽気に勇んで弾くことができたと思います。

また、昨年の夏、喉に痛みがあるというご婦人におさづけを取り次がせていただきました。1カ月後にお会いしたとき、その方から「今度は心臓に取り次いでほしい」とお願いされました。聞けば、前月のおさづけで喉の痛みが治まったとのこと。鮮やかな、こうのうの理をお見せいただいたことに、ご存命の教祖の温もりを感じ、勇ませていただきました。

お道には、たすけ一条の道として、つとめとさづけがあります。おつとめで真剣に人さまのたすかりを願い、自らの心の掃除を怠らず、ひのきしんに励み、一人でも多くの方におさづけを取り次いで、真実のこもったおたすけをさせていただく。その実践が、教祖にお喜びいただける、ひながたの道の歩みだと信じています。