「除草の哲学」に日々倣う – 視点
2024・5/22号を見る
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「全教一斉ひのきしんデー」で2時間ほど草を引いた。
公民館の砂利敷きの駐車場に座り込み、小石の間から顔を覗かせるカタバミなどをつまんで引き抜く。根にまとわりつく土から微かな匂いがする。土壌バクテリアによるこの匂いは、人を穏やかな気持ちにさせるらしい。同じ動作を根気よく繰り返すうち、頭が空っぽになり、時を忘れる。心理学でいう「フロー状態」のような心地よさに、しばし浸った。
「ガーデニング大国」イギリスで2020年のベストセラーとなった『庭仕事の真髄』に、除草の効用について言及した一節がある。著者のスー・スチュアート・スミスは著名な精神科医で心理療法士。心理学や神経科学、園芸療法などの最新知見をもとに研究し、「手を使う作業に没頭すればするほど、自分の内面で自由に感情をより分け、それを処理することができる」という自身の経験知を踏まえ、「心もまた庭のように手入れをされなければならないのだ。私たちの感情生活は複雑で、常時手入れして、修理しなければならない」と強調する。
さらに、心を手入れするには「思いやりのある創造的な態度を育む必要がある。とりわけ何が私たち人間を養い育てているのかを知る必要がある」として、人にやさしく振る舞い、自然によって“生かされて生きている”ことへの自覚を促す。
ところで、二代真柱様に「除草のこころ」と題する随筆がある(中山正善著『陽気ぐらし』収載)。「除草に非常な興味を持ち、人々とも語り合って除草に入念するようになったのは、戦争(筆者注=第2次世界大戦)以前からであった」と振り返り、「私の除草哲学が生れて来た」と記される。そのうえで「除草は私に人生観を教えてくれた」「頭を空にした除草行為が、理論をはなれた面から、尊い尊い知識をつめ込んでくれた。経験の上から、草にもお礼申したい念を起させてくれた」と述懐しておられる。そう仰せになる第一の理由は、「何の技巧もなく、誰にでも出来る行為ではあるが、その完成には、人知れぬ努力と繰返しを要する」という“除草の難しさ”にある。
そして「教祖は“ほこり”という言葉で、心遣いの誤りを教えられた。その掃除ということが常々、又一番大切な日課であると教えられた。誰にもわかる“埃”のことである。誰にも出来る掃除のことである。ついうかうかとまとめておいて、一斉に除去しようと、考えやすく、日々に掃除をつむことは、考え易くして、おこたり勝ちなことである」と、日々ほこりを払う大切さを懇ろに諭される。
先のベストセラーといい、二代真柱様の随筆といい、筆者が少し草を引いたくらいでは到底たどり着けない境地だが、心に草がしこらぬよう日々「除草の哲学」に倣いたい。
(松本)