天理時報オンライン

共に仕切って成人の歩みを – 三年千日 ひながたと私


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2024・7月号を見る

北村 浩(芦姫分教会長・66歳・大阪市西淀川区)

三年千日の旬に、上級教会では十二下りのお願いづとめと、『稿本天理教教祖伝』の通読を始めてくださいました。あらためて読み直すことで、より深く、より細部にわたり、ひながたを学ばせていただいています。

また、芦津大教会では「動く」をテーマとして年祭活動に入りました。私どもの教会でも、その一つとして、大教会や上級教会でかねて進めておられた地域でのごみ拾いを、週1回ですが、賛同してくれる里子や娘と共に、仕切り直して続けています。

日曜日の早朝に、「陰の徳積み」「小さな地域貢献」を、との思いで行うなか、出会う方々から「ご苦労さん」と声を掛けていただき、うれしそうにはにかむ里子の姿を見ては、教祖からご褒美を頂いているようで、こちらもうれしくなります。ありがたいことに、このごみ拾いを進んで実行してくださっているよふぼく家庭もあります。

そして、この旬に新たに始めたのが、「こども朝食堂」です。月1回、平日に開催し、主に近くの小学校の児童が楽しみに来てくれています。支援学校に通う不登校気味の里子も、このときばかりは早起きして、一生懸命おにぎりを握ってくれます。旬の理を頂き、人の役に立つ喜びを見いだしてくれたらと思います。

20年前は1人だった里子も現在は6人になり、共に教祖百四十年祭に向かって歩んでいます。とはいえ、「信仰の強要」の問題が行政などでも取り沙汰され、また、里子の自立の問題などもあり、頭を悩ませることが多くなりました。

教祖は「人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』八六「大きなたすけ」)と仰せられます。また、「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで」(同)とも仰せくださいます。あらためて、私どもの真実を見極めてくださる旬が訪れたのだと認識しています。

年祭活動も後半に入ります。里子を含めた教会家族、よふぼく信者一同と共に、あらためてひながたを学びながら、行動に移させていただきます。