親心のシャワーをたっぷり浴びて – 三年千日 ひながたと私
中西はつよ(本部直属琵琶分教会長夫人・59歳・滋賀県野洲市)
私は、アフリカのコンゴ共和国で生を受けました。7カ月目で母のおなかから取り出され、産声を上げず、いわば仮死状態だった小さな命も、気づけば今年で還暦を迎えます。ですから、私にとって誕生日は、命をつないでいただいていることを親神様・教祖にお礼申し上げる、大切な日です。
私が生まれた日のことを、父は「あのときほど、おつとめとおさづけのありがたみが身に染みたことはない。祈ることのできる身の幸せ、すがることのできる教祖が存命でいてくださることに、どれだけ心救われ、支えられたか……」と述懐しました。魂のこもったその言葉で、おつとめとおさづけの尊さを教えてくれたのです。
また、母は「生死にかかわる危険なお産のさなかも、をびや許しを戴いていたおかげで、安心してもたれきることができた」と、事あるごとに聞かせてくれました。
幼少のころから両親が、親神様のお恵みやお働き、そして教祖の温もりを、噛んで含めるように伝え続けてくれました。日常に散りばめられた数々の言葉と、その姿は、いまも心に深く刻まれ、私の信仰の土台となっています。
私が親神様を信じきり、教祖におすがりできるのは、両親が、どれほどつらく苦しいときであっても、どれほど遠く離れていても、おぢばに思いをはせ、ひながたの道を頼りに通りきってくれたおかげにほかなりません。
もう一つ、私がひながたを身近に感じられるのは、いく度となく「神さんはな」「教祖さんはな」と、なんとも温かく親しみに満ちた響きに乗せて御教えを聞かせてもらってきたからかもしれません。
両親とも出直して十数年が経ちますが、親心のシャワーをたっぷり浴びて育った私はなんという幸せ者なのかと、感謝の気持ちでいっぱいです。
「諭達第四号」が発布された年、以前から気に掛かっていたあるご婦人と、をやのお言葉を一つ添えたLINEのやりとりを始め、毎日続けています。この旬に与えていただいた身近なおたすけの時間を大切に、これからもこつこつと御教えを伝えて、温かな親心が届くよう、ひながたの道を素直にたどらせていただきたいと思います。