AIを世界たすけの“道具”に – 視点
2024・7/24号を見る
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科学技術の進歩により、宗教の社会的影響力は相対的に低下していると指摘される。しかしながら、宗教家はAIによって代替されにくい職業の一つともいわれる。そんななか、世界三大宗教でもAIを活用する動きが見られる(日本経済新聞6月18日付)。
ドイツの教会で登場した「AI牧師」は、ウィーン大学の神学研究者が開発したもので、聖書を学び、自然な言葉で説教を行う。日本では、京都大学の教授らが「ブッダボットプラス」を開発した。これは、古代インドの仏典を機械学習し、チャットGPTを介して分かりやすい言葉でユーザーの質問に回答する。イスラム教でも、シンガポールの会社が、教義に関する質問に答えるチャットボットを実装した礼拝アプリ「ムスリムプロ」を開発し、1億6千万人が利用している。
こうした活用によってAIが「中興の祖」的な役割を果たせるのかは定かではない。しかし、お道の中でもAIを信仰活動に活かす研究がもっと進められていいのではないか。前出のブッダボットプラスは、いまも8万点を超える原始仏典を学習し続けており、ブッダならこう答えるであろうというレベルに近づきつつある。この技術は、宗教間の紛争を引き起こす危険性をはらんでおり、仏教以外の宗教への転用を避けているが、もし本教が独自に「おふでさき」や「みかぐらうた」、そして全7巻6千ページを優に超す「おさしづ」の三原典をはじめとして、信頼のおける数多くのテキストをAIに学習させることができれば、より一層、親心を求める手だての一つになるかもしれない。
仮に、そのような活用が実現したとしても、教会長をはじめとするようぼくの役割が失われることはない。身上・事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、そのうえで、真にたすかる道があることを胸から胸へ伝えるのが、AIではできないようぼくの役目だろう。
六千年かけて仕込まれた智恵の賜物でもあるAIを、世界たすけを推し進めるようぼくの”道具”の一つとして使いこなす未来も視野に入れたい。
(三濱)