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愚直に「ひろめ」に心を尽くし – 三年千日 ひながたと私


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2024・8月号を見る

石田隆通(隆初分教会長・67歳・大阪市住吉区)

平成4年10月から4年半、大阪府高石市内に一室を借り、幼い子
供たちを連れて、夫婦で単独布教をしたことがあります。

歩けども歩けども、にをいは掛からず、「いい若い者が何をくだらないことを。働いて税金を納めたほうが、よほど人助けだ」という罵声にくずおれそうになることもありました。月日は1年、2年とむなしく過ぎ行くばかり。いままさに教祖のひながたをたどっているのだと自らを鼓舞するものの、成果の挙がらない日々に疲れ、いら立つことさえありました。

そんなある日、教友に誘われて和泉市の市民セミナーに参加しました。講師は某大学の社会学の先生で、「死」をテーマに1時間余り講演されました。

話の途中で突然、「この中に天理教の信者さんはいますか?」と尋ねられました。私と教友が手を挙げた後、先生は「私は天理教の信者ではありませんが、参考までに話します。日本人は長らく、死を穢れと考えてきましたが、天理教の教祖は、穢れではなく『出直し』と表現し、魂の生まれ替わりを説きました。歴史上、画期的なことです。もう少し付け加えると、天理教の教祖は、女性の生理と出産についても穢れはないと教えています。おそらく日本史上初めて、世界史的に見ても、類いまれな女性解放論者です。お二人は、偉大な教祖を戴いて幸せですね」と。

この瞬間、私は「神様はある」という確信に心が震えました。教祖はこの先生を通して数十人の聴衆ににをいがけしてくださったのだと思うと、ありがたくてうれしくて、溢れる涙を何度も拭いました。誰も耳を傾けてくれない日々を、教祖はご覧くださっていたことを確信しました。笑われ謗られ拒否される日々こそ教祖のひながたなのだと心に治まりました。

この経験が、私のにをいがけの原点となりました。にをいが掛かる掛からないは神様にお任せして、ただ愚直に「ひろめ」に心を尽くせばよいのだと吹っ切れました。

私の年祭活動のスローガンは、内にも外にも「いつでもどこでもにをいがけ」です。あらゆる機会を利用して神名を広めることに心を砕く、その積み重ねが「おたすけ」につながるのでありましょう。