アスリートの謙虚さを真似て – 視点
2024・8/14号を見る
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パリオリンピックでは、世界のアスリートが連日、熱戦を繰り広げた。試合の感動もさることながら、直後のインタビューに答える選手の言葉は胸を打つ。それは勝者、敗者にかかわらない。それらの発言に一様に感じるのは、周囲への感謝と自らを律する謙虚さである。
心理学に「モデリング」という言葉がある。他人の行動を観察して真似ることで学習することを意味する。この考え方は、あらゆる技術や物事の習得に関与し、スポーツ選手の飛躍的な成長を実現する鍵ともいわれる。これはビジネスでも活用され、成功企業をモデル化し、それを真似て能力を向上させるのだ。
芸術の分野でも、能楽師・世阿弥は能楽を単なる芸能ではなく精神修行と捉え、その哲学を『風姿花伝』に込めた。なかでも芸を磨くために、まず「真似よ」といい、稽古は「古を稽える」という。芸を極めるほど慎みの心で稽古に励め、と同書にある。慎みの心が芸を磨くことになるというのである。
もちろん、自信を持つことは大事なのだが、「自分は誰よりも勝る」という気持ちが強すぎると、誰の意見も取り入れなくなる。心を白紙にすることで、相手の良きところを、わが心に映すということだろう。
それは信仰にも重なる。評論家の草柳大蔵は「人間教育は身に付けることから始まる。知識の着物を、さらにもっとと重ねて着る。しかし宗教教育は身に付けているものを一枚一枚脱いでいくことである」と喝破した。自己を虚ろにし、まる裸にした心に一枚ずつ神の教えを身に付けていくという宗教の要諦であろう。それは親神様の教えに心を近づける努力であり、また教えの実践に欠かせない心の修行でもある。
「俺が/\というは、薄紙貼ってあるようなもの。先は見えて見えん」(おさしづ明治24年5月10日)。慢心によって親神様のご恩が見えなくなる。成人には感謝と謙虚さが欠かせないことをお教えくださる。
オリンピックで全力を振り絞った若きアスリートの姿は、なんとも言えず爽やかだ。その姿を真似て全力を振り絞り、“成人の旬”の今を歩みたい。
(加藤)