教祖の温もりに少しでも近づきたい – 三年千日 ひながたと私
藤江多喜子(大垣大教会長夫人・48歳・岐阜県大垣市)
私ども夫婦には、3人の男の子をお与えいただいています。その中で次男は、いろいろなことがゆっくりしていて、年子の三男のほうが先にできるようになることも多くあります。私はつい自分の物差しで、「学校に行くようになったら、みんなについていけるだろうか」と心配する日もありました。
4年前、間もなく4歳になる次男だけを連れて帰参したときのことです。お礼の参拝を終え、いまから教会に戻ろうと、車で神殿の前を通り過ぎようとしたそのとき、彼が「おやがみさま、おやさま、よろこんでくださってありがとうございました」と、すらすらと申し上げたのです。びっくりしました。こんな長い言葉を、詰まることなく話せたことがなかったからです。そして「この子には、自分がおぢば帰りしたことを親神様・教祖がお喜びくださっていると感じることができる心があるんだ。それさえあるなら、この先、何ができないということがあっても大丈夫だ」と、私自身の心もたすけていただいたのです。
おぢばに帰るたびにホッとし、安らげるのは、親神様・教祖が喜んでお迎えくだされている証しであり、きっとどこかでその温もりを感じているからだと思います。
逸話篇に出てくる「よう帰って来たな」「待ってた、待ってた」などの教祖のお言葉は、どんな声色で、どんな温度、速さだったのでしょうか。教祖は、誰に対しても分け隔てなく、そうしてお迎えくださいます。
教祖百四十年祭に向かうこの時旬、教祖の温もりに浴するだけでなく、自分自身も、その温度に少しでも近づく努力を重ね、言葉や態度に乗せて周りに映していけるようになりたいと念じています。
また、今回の年祭活動は私にとって、自覚を持って歩むという意味では4回目となります。そして今回は、夫婦でねり合ったりつとめたりできるようになってきたという、これまでとは違った手応えがあり、喜びを感じています。いま身の周りにお見せいただくことは、すべてが、いまだから味わわせていただけることばかり。教祖のひながたを目標に、一日一日を丁寧に積み重ねながら通りきらせていただきたいと思います。