第4回「修養科」- ようぼくデイズ
2024・10/30号を見る
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第18期読者モニターアンケート企画
親里や各地域における信仰実践や行事・活動などの意義や魅力について、読者モニターが自らの体験をもとにエピソードを語るコーナー「YOBOKU DAYS」。第4回のテーマは「修養科」。昭和16年に開設された修養科は今月、第1000期の節目を迎えた。これまで多くの人々が教えを学び、ひのきしんに励み、“心の修養”に努めてきた。教祖140年祭へ向かう“成人の旬”に、陽気ぐらしの生き方を身に付けようとする大勢の教友たちの姿が、いま親里にあふれている。今回は、「修養科」にまつわるエピソードを読者モニターに寄せてもらった。
組係の御用をつとめる中で
伊藤正文さん
60歳・愛町分教会ようぼく・三重県鈴鹿市
今年1月から第991期生として志願。1番組係を任され、どうすればいいのか悩んだ。そんななか、人をまとめることが元来苦手だったが、低い心でクラスメートの話に耳を傾けることを心がけた。
息子さんと共に志願した80代のAさんは、昨年末に前立腺がんの手術を受けたばかりで、車いすに乗っていた。教えを学ぶ生活を送るなか、1カ月後に杖なしで歩けるように。3カ月目の布教実修では、神名流しや戸別訪問を勇んでつとめておられた。
ほかにもクラスメートたちが、さまざまなご守護をお見せいただいた。私自身も、組係の御用は親神様が与えてくださったものと捉え、精いっぱいつとめる中で、共に成人させていただいたように思う。
頼りない組係だったと思うが、クラスメートに支えられながら通ることのできた、素晴らしい修養生活だった。
心を定めて志願した高齢者の姿
松村 純さん
50歳・博門分教会長・福岡県北九州市
8年前、70代の信者夫婦が志願した。奥さんは半年前に足の手術を受けたばかりだったが、「いましかない」と思いきって修養科へ。心さえ定めれば、親神様・教祖がお見守りくださるのだろう。7~9月の酷暑のさなか、多くの仲間に支えられ、無事に修了することができた。
その後、奥さんは自ら琴の練習を始めた。数年かけて上達し、いまでは教会月次祭の後半下りで琴を勤めてくださっている。
もう一つ、その夫婦で決めたことがある。自宅での夕づとめの際に、二下りずつおてふりまなびを勤めることだ。時に言い合いになっても、一緒にまなびを勤めると、朝には元通りの関係になれるから有り難いと、笑いながら話してくださる。
80代になったいまも夫婦仲良く、結構にお連れ通りいただいている。思いきって修養科を志願し、ぢばに心をつないだ夫婦の真実を、親神様がお受け取りくださったのだと思う。
大節を乗り越えた先に結構が
川島君子さん
80歳・龍分教会ようぼく・神奈川県横須賀市
結婚して半年が過ぎたある日、所属教会長から修養科を勧められました。当時、妊娠3カ月で流産の兆候があり不安でしたが、悩んだ末に志願を決意しました。
しかし、9日目に流産。涙を流しながら本部神殿南礼拝場の階段を磨いたことを覚えています。心を倒す日が続きましたが、これではいけないと自らを奮い立たせ、教えを求めました。
授業で教理の基本を学び、ひのきしんに励み、親神様・教祖に心を寄せることができました。また、おてふりや鳴物を毎日練習したおかげで、教会に戻った後も自信をもって勤められるようになりました。
振り返ると、修養科があったからこそ大節を乗り越えることができ、今日の結構な姿をお見せいただいていると思います。親神様に心をつなぐことができて今があると、感謝の気持ちでいっぱいです。
お導きを強く感じた“第一歩”
古川真由美さん
55歳・大野分教会教人・鹿児島県霧島市
学生時代、留学中に天理教の教えを知り、帰国したらおぢば帰りをしようと心に決めていました。帰国後、所属教会の教会長後継者の案内でおぢばを訪れ、初めて座りづとめを教わりました。
間をおかず、22歳のとき第606期を志願。十二下りのおてふりはもちろん、鳴物もできませんが、学ぶことのすべてが興味深いことばかり。ハッピを着て街を歩くだけで特別な体験をしているような、少しフワフワした感覚を味わいました。
いま思えば、修養科をきっかけに、本部勤務をさせていただくことにもつながりました。修養科の3カ月は、ようぼくとしての私のすべてが始まった〝第一歩〟だったといえます。あの時間があったからこそ、いまの私があるのです。
当時を振り返るたびに、親神様・教祖のお導きを強く感じ、感謝の気持ちが湧いてきます。
喜びの涙あふれた感話大会
小林利雄さん
64歳・同慶分教会教人・奈良県広陵町
48年前、膠原病をご守護いただき、お礼の気持ちを込めて修養科を志願した。
「かしもの・かりものの理」を肌身に感じさせていただこうと勇んで過ごしたが、1カ月が過ぎたころに再発し、入院を余儀なくされた。
「私には無理だったのか」。辞退もやむを得ないと思ったが、「憩の家」の主治医の協力のおかげで、朝、点滴して修養科へ行き、授業を受け、ひのきしんをし、夕方「憩の家」に戻って点滴を受ける形で、なんとか修養生活を続けることができた。残りの2カ月は病院と修養科を往復するような日々だったが、心中は、修養科へ通える喜びで胸がいっぱいだった。
感話大会では、弁士の一人として登壇する機会があった。大変な修養生活だったが、奇跡的なご守護を頂いたことへのお礼と、生かされている喜びへの感謝の気持ちから、涙で言葉が出なかった。
修養科は、心の向きと運命が変わり、ご守護を頂ける3カ月だと実感した。
わが師を仰いで
百寿を迎える祖母に心救われ
大谷吉輝
43歳・芦住分教会教人・佐賀県白石町
幼いころから、信仰熱心な祖父母が信仰の素晴らしさを伝えてくれた。
毎月のおぢば帰りを欠かさない祖母は、教祖のひながたをたどる生き方を心がけていたと思う。その姿は、私にとって信仰の手本であり、何か困りごとがあれば、いつも話を聞いてもらった。
祖母は来年100歳を迎える。最近は高齢のため、以前のように話を聞かせてくれることは少なくなったが、顔を見るだけで心が救われる思いがする。
祖母をはじめ代々の先祖が、生涯かけて道に心をつないでくれたからこそ今の自分がある。この信仰を後に続く人につないでいけるよう、私も一人でも多くの人にお道の教えを伝えていきたい。
みんなのイチオシ
9月4日号から9月25日号までの紙面の中から、読者の関心が高かった“イチオシ記事”について、寄せられた感想を紹介する。
リポ―ト三年千日「一手一つに成人の歩みを」拡大版
教会が布教拠点となり世界たすけの歩み進めて「全教会布教推進月間」
(9月25日号1・4・5面)
ようぼくが各地でにをいがけに励む姿を通じて、志を持って実動する教友の存在を身近に感じることができました。私ももっと、にをいがけに頑張ろうと思います。(30代女性)
全国で布教に歩く教友の姿を見て、身が引き締まる思いがした。私も地域活動に積極的に参加していきたい。(40代男性)
修養科で知り合った教友の所属教会の取り組みが紹介されており、懐かしく拝見しました。私自身も、修養科時代の勇み心を思い出して実動に励みたいと思います。(50代女性)