教祖をより身近に感じて – 三年千日 ひながたと私
比見佳子(行樂分教会長夫人・51歳・東京都荒川区)
立教186年8月から修養科一期講師、クラス担任を務めさせていただきました。教会長後継者である夫と結婚して18年、50歳という人生の節目に大きな御用を頂きました。私が修養科生だった20年前には、まさか自分が講師の立場になるとは夢にも思いませんでした。
淺草大教会の活動方針「喜びの心、喜びの種まき、明るく勇んだ心で三年千日ひながたを歩もう」を胸に、一期講師としての修養科生活が始まりました。
暑い時期、慣れない生活、抱え込む悩み。修養科生たちに親身に寄り添いながら、どんな言葉を掛け、どうサポートすればよいのか、神殿に行き、親神様・教祖に胸の内を聞いていただいていました。
最初のころは、自らの欠点や過ち、性分など、心が完全に自分自身に向いて苦しんでいる修養科生もおられました。それが3カ月目には、心の方向が、周りの人やおぢばの美しい自然へと広がっていくのが顕著に感じられました。顔つきが変わり、行動が変わっていったのです。「親を知り、親心にふれることによって導いてもらえるのだな。手を引いてもらえるのだな。おぢばってすごい」と感じ入りました。
先日、大教会の祭典講話で、大教会長後継者が「いまは、まさに親神様が『こうしてほしい』と仰せになっている時期。種まきの旬であり、よりご守護いただける芽生えの旬」とお話しになりました。
私は三年千日の1年目に、おぢばで一期講師を務めさせていただけたことを、とてもありがたく感じています。また、教祖伝を通して教祖を以前よりもっと身近に感じさせていただいています。日常生活の中で心が苦しくなるとき、パニックになったとき、忙しないときなど、近くで教祖が「あなたならどうする?」と声を掛けてくださっているように感じられて、「教祖ならどうなさるだろう」と自問するうち、心に余裕が生じて冷静さを取り戻すこともあります。
家庭の中にも、ひながた実践の場はたくさんあります。喜びの種まきの場もしかりです。よく息子に「うるさいなあ」と言われる私ですが、お母ちゃんの声を〝肥〟にしてもらうための理づくりに、明るく勇んで努めていきたいです。