教祖が励まし、導いてくださっている – 三年千日 ひながたと私
伊藤博信(秋田市分教会長・55歳・秋田市)
支部長として初めて迎えた三年千日。おかげさまで、「ようぼく一斉活動日」を、支部の皆さんと一手一つにつとめています。
6月2日に開催した第2回の、自主プログラムのテーマは「おさづけ」でした。終了後、先輩の教会長さんが「ある支部では、スタッフによるお見送りが好評だったそうですよ」と教えてくださいました。そこで、私も参加者をお見送りしようと、外に出ていました。
すると、参加者の一人が慌てた様子で戻ってきて、「この先で倒れている人がいます!」と知らせてくれました。教服姿のまま急いで駆けつけると、道端で大いびきをかきながらうずくまっている方がいて、声を掛けても反応がありません。脳梗塞を疑い、まずは大難を小難に導いていただこうと、必死におさづけを取り次ぎました。その場にいた方々も、一緒に添い願いをしてくださいました。
おさづけを終えた時点では意識が戻っていませんでしたが、どうしても外せない急用があったため、その方をほかのスタッフに託して現場を離れました。後の報告によると、救急隊が到着したときには、その方は意識を取り戻し、会話もできていたそうです。それを聞いて、安堵感と感謝の気持ちが心の底から湧き上がってきました。
この、「おさづけ」のプログラムの直後に実際に取り次ぐ機会を与えられ、おさづけの尊さをあらためて感じたことも、先輩の助言に素直に従ったことで、このような場面に出合えたことも、偶然とは思えません。教祖伝に、教祖は「一列子供の成人を守護されて居る。日々に現われて来るふしぎなたすけこそ、教祖が生きて働いて居られる証拠である」(第十章「扉ひらいて」)と記されていますが、まさにその通りだと実感しました。
教祖は、日々の出来事や周りの人々を通して、昔もいまも変わることなく私たちを教え導いてくださっているのだと思います。そして、年祭活動が半ばを過ぎたにもかかわらず、まだしっかりした歩みができていない私を励まし、導いてくださっているとも感じています。
教祖を信じ、教祖にもたれながら、残りの日々も勇んで歩みを進めていきたいと思います。