天理時報オンライン

すべては教祖のお計らい – 三年千日 ひながたと私


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2025・1月号を見る

西牧 亨(松代分教会長・67歳・長野市)

「何を聞いても、さあ、月日の御働きや、と思うよう」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』一八五「どこい働きに」)と教祖は教えてくださいました。苦境に立たされたとき、いつもこのお言葉が心を奮い立たせてくれました。

数年前に脳梗塞で倒れ、病院や施設で療養していた天理大学時代の友人が、年祭活動のさなかの昨年春、急に容体が悪化して意識不明となり、余命宣告されたというメールがご家族から届きました。私は病院の所在地を確認すると、すぐ新幹線に乗りました。乗車してから、コロナ禍の余波でいまだに厳戒態勢が続く病院の中に、家族以外の部外者が入れるのかと不安がよぎりましたが、しばらくして、彼の奥さんから「家族の一員として入室してもらえそうです」とのありがたい一報が入りました。

病室に入ったとき、大学時代にワンダーフォーゲル部で活躍した彼の変わり果てた姿に驚きを禁じ得ませんでした。意識のない彼を前にして、奥さんやお子さんたちに、命あるいまの姿に感謝すること、家族みんなが心を一つにすること、笑顔で徳積みすることを心定めしていただき、私は一心におさづけを取り次ぎました。

その後、彼は奇跡的に意識を取り戻し、問いかけに応じられるようになりました。目も開いて、テレビを見られるようにもなりました。ご家族の皆さんは大変驚き、喜びました。

しかし、このまま元気になってほしいという人々の願いはかなわず、2カ月後に彼は出直しました。残されたご家族に掛ける言葉は見つかりませんでしたが、皆さんからは、彼と共に歩んできたこれまでのかけがえのない人生と、数年に及んだ闘病生活に区切りがついたことへの感謝の言葉を聞くことができました。ほのぼのとした温かいご家族に見守られ、彼は旅立っていきました。

50年前におぢばで、心置きなく何でも語り合える友人に出会え、いま、前向きで思いやり溢れるご家族に巡り会えたことは、すべて教祖のお計らいだったのだと感じています。出直しという悲しい節目に、ご家族が感謝の心でお見送りできるようにお導きくださった教祖、ありがとうございました。