天理時報オンライン

教祖のぬくもりに守られて – 三年千日 ひながたと私


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二宮幸代(三机分教会長夫人・61歳・愛媛県伊方町)

私は、母が信仰初代の信者家庭に育ちました。実家の母は、私たちが子供のころ、身上のときには必ず「お御供さん」を頂かせてくれました。頂くといつも、気持ちが落ち着き、安心したのを覚えています。

私が小学生のとき、元気だった父が、ひと晩のうちに急逝するという節をお見せいただきました。いんねんを自覚した母は、私たち子供を「いつも教祖に守っていただきたい」という思いで育ててくれました。そのことに心から感謝しています。

高校時代、友人関係に悩んでいたとき、母に久しぶりにおぢばに連れて帰ってもらい、教祖殿で、なんともいえない温かいぬくもりを感じました。そのことがきっかけで天理大学に進み、主人とのご縁を頂きました。

年祭活動三年千日の1年目、前会長である父の介護が始まり、2年目には、父の出直しという節をお見せいただきました。

教会長として、生涯ひながたの道を心にたたえてコツコツと歩んだ父は、「理屈に勝って理に負ける。理屈に負けて理に守られる。親の理に沿うことが徳を頂く一番の近道や」、また「陰の伏せ込み、陰徳を積む、天への貯金が大切」と、折に触れ諭してくれました。

父の出直しの前後の時期、私は人間思案から勇むことができず、年祭に向けて大教会からお打ち出しいただいている、喜びを数えて毎日スマートフォンで報告する「喜びテンポイント」活動も送信できなくなりました。そんなとき、大教会の奥様が「ちょうど良いようにお願いさせていただきますね」とLINEを下さいました。その文字を見たときに、「教祖はいつも、ちょうど良いご守護を下さっているのだから、何も心配はいらないんだ」と、あのときと同じ、温かいぬくもりを感じました。

信者家庭に育った私にとって、教会での生活は、喜びも多い半面、心を倒すこともありました。しかし、その時々にはいつも教祖の温かいぬくもりを頂戴し、お連れ通りいただきました。

年祭活動仕上げの年、たくさんの方々と共にコツコツと喜びの種まきをさせていただき、教祖にご安心いただきたいと思います。