待つということ – 成人のビジョン 33
2025・3/19号を見る
【AI音声対象記事】
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砂糖水を作るのに必要なものが三つあります。砂糖と水、あと一つはなんでしょう?答えは「時間」。砂糖が水に溶けるまでに要する時間です。私はそれを考えもしませんでした。水に砂糖を加えれば、砂糖水は完成する。そう思っていたのです。
忘れ去られた時間がある一方で、私たちはいつも時間に縛られています。時短レシピ、時間管理術、タイパ――時代は時間の効率化を求めます。
お金を稼ぐ。節約する。無駄にする。
時間を稼ぐ。節約する。無駄にする。
現在では、お金と時間は同じ動詞で語られます。まさにタイムイズマネー。スマホの通知、SNSの即時更新、動画の倍速視聴。私たちは「待つことができない文明」に暮らしているのかもしれません。
砂糖水を作る際に時間を考えなかったのは、時間を気にしていないからではなく、「時間の意義」への無頓着さゆえだと思うのです。
私たちの信仰においても時間はとても大切です。スピードは機械の得意分野ですが、人の心は時間とともに成熟します。スイッチ一つで切り替わるものではありません。
「道」は歩むもの。ワープはできません。待つことができる人は、歩み続けることもできる。なぜなら、ときに夜明けを待つことも必要だからです。夜の静けさに身を委ねるうちに、やがて空がほのかに明るむように、待つ時間は私たちの内に気づきをもたらします。ただ立ち止まるのではなく、次の一歩へとつながる静かな時間。待つこともまた、道を歩む大切なひととき。それは神様の導きを信じることであり、私たちに自由と平穏をもたらす、心の姿勢なのです。
待つことができない文明に暮らすからこそ、「待てる」私でありたい。夜が明け陽が昇ると花がほころぶように、心もまた、時とともに開いてゆく。それは親神の守護の中にある生命が持つリズム。時間は単に過ぎゆくものではなく、私たちが身を委ねるもの。人は時間を惜しんで急ぎますが、本当に大切なのは、その時間をどう受けとめ、どう味わうかではないでしょうか。
心さえ綺麗な心持って居れば、綺麗な道が付く。(中略)綺麗な道は急いてはいかん。
(おさしづ明治31年8月3日)
世界中に綺麗な道が付き、人々の心にをやの思いが溶け込むその日を、おやさまはずっと待っておられます。