この旬は“蒔く”ことが第一 – 三年千日 教祖と私
宇惠善継(共成分教会長・56歳・天理市)
教祖百四十年祭の年祭活動1年目に妻が身上を頂き、2年目には私が、教職舎の雨どいを掃除中に屋根から転落しました。最初に風呂場の屋根に落ち、2回転して上も下も分からないまま、隣の公園にあおむけに落ちました。腰や足に激痛が走り、救急車で病院へ搬送されました。意識が遠のくなか、月次祭や、控えている行事などが頭に浮かんでいました。
レントゲンを撮ると、左足を何カ所も剥離骨折していましたが、奇跡的に頭や腰、内臓などに異常はなく、大難を小難にしていただきました。本来は4週間入院するところを2週間で退院でき、その後の教会行事にも滞りなく参加することができました。
10年ほど前、教会長になって初めての年祭の旬にも家族に身上を頂きましたが、結構なご守護を頂きました。そのご恩を忘れず日々感謝の気持ちで勇んでいるのに、なぜこのように立て続けに身上を頂くのかと、正直、悔しい気持ちになることもありました。
退院後、松葉づえを突いて教祖殿へ参拝に行く途中、ある本部員先生と行き会い、「あんた、話の種をいっぱいもらうなあ」と言われました。そのとき、「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで」という教祖のお言葉を思い出し、心のモヤモヤがスッと晴れました。この旬は“蒔く”ことが第一。その種を頂いているんだと前向きになることができ、感謝の気持ちが湧いてきました。また、「会長さん、屋根に上るのは私らがやらせてもらいますから」と95歳の信者さんが言ってくださり、温かい気持ちになり、心が救われました。
教祖は「節から芽が出る」とお教えくださいます。本当に前向きで明るいこのお言葉に元気をもらいます。
おぢばは不思議な場所です。悩みの答えや心の向きを教えてくださる、私にとって大切な場所です。「おぢばは、泣く所やないで。ここは喜ぶ所や」と、教祖がそっと後押しをしてくださいます。信者さんにとって教会がそのような場所になっているかを再確認し、3年目は信者さんと共に何度もおぢばへ足を運ばせていただき、教祖にお喜びいただきたいと思います。