御苦労余話 – 視点
2025・4/16号を見る
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先日、別席を運んだ若者から「教祖が『貧に迫っての事であろう。その心が可愛想や』とお許しになられた米盗人の罪は、天理教の教えでは問わなくていいということでしょうか」と素朴な、しかしあまり聞いた事のない質問を受けた。筆者は、教祖はお慈悲の深いお方であられたということと、月日のやしろとなられる以前の事柄であると説明した。しかし、その若者のような視点からすれば、官憲の迫害による監獄所への拘引などについても説明が必要ではなかったかと気にかかった。
『稿本天理教教祖伝』には、「教祖は、八十の坂を越えてから、警察署や監獄署へ度々御苦労下された。しかも、罪科あっての事ではない。教祖が、世界たすけの道をお説きになる、ふしぎなたすけが挙がる、と言うては、いよいよ世間の反対が激しくなり、ますます取締りが厳しくなった。(中略)これ皆、高山から世界に往還の道をつけるにをいがけである、反対する者も拘引に来る者も、悉く可愛い我が子供である、と思召されて、いそいそと出掛けられた」とあり、「教祖の思召」と「取締り」が併記されている。
その「取締り」についての興味深い研究がある。明治15年(教祖伝「第九章 御苦労」はこの年から始まる)1月に施行された「旧刑法」の末尾に「違警罪」というものがあり、例えば「河豚を食料として販売した者」(筆者訳)などの軽微な禁令の中に「神官僧侶ではない者が他人の為に加持祈祷をしたり、守り札の類を渡した者」(同)といった宗教弾圧にかかわる項目が含まれている。被疑者には正当な裁判は行われず、裁判官の資格も見識もない警察署長または分署長がその場で留置などの判決を下す権限が与えられており、異議の申し立ては認められなかった。(松谷武一著『ひながたとかぐらづとめ――国家権力の弾圧と近代法制史料』道友社刊参照)
為に元来、科料(軽い禁令を犯した金銭罰)で済まされた事が、十日以上の留置にまで飛躍している。
もとより、教祖がいそいそと出掛けられた御苦労は、高山布教そのものであって、分からぬ子供を教え導くための親心に満ちた御苦労であったことに変わりはない。その意味において、「罪科あっての事ではない」のである。
(橋本)