世界は“味わい”に満ちている – 成人へのビジョン 34
2025・4/16号を見る
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「この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」
『天理教教典』第三章「元の理」
こんなに嬉しく心弾む創造説話がほかにあるでしょうか。人間は陽気遊山のために生まれてきた。神を讃えるためでも、死後天国へ行くためでも、輪廻から解脱するためでもない。「ここはこの世の極楽や」。なんと力強い生の肯定でしょう。
「元の理」には、親神様がどろ海を「味気なく」思召されたとの心情が描かれています。であるなら、この世界はきっと「味わい深い」ものであるはず。親神様は人間が陽気ぐらしができるよう、十全なる世界を拵えてくださった。そう思えてなりません。
親神様がお創りになった自然を五感を通じて“味わう”――それは、生きることの根源にあるよろこびです。
遠くの緑を「見る」と目の筋肉がほぐれ、まぶたの奥がじんわり和らぐ。せせらぎや鳥のさえずりを「聴く」と心拍が整い、静かな安心に包まれる。森の香りを「かぐ」と副交感神経が働き、ふっと気持ちがゆるむ。土や木に「ふれる」とセロトニンが分泌され、心がほどける。旬の食材を「食べる」とその季節に必要な栄養素が自然に満たされる。
目で見て、耳で聴き、鼻でかぎ、肌でふれ、舌で味わう。五感のすべてが、擦り減っていたものを満たしてくれる。かりものの身体が世界に呼応する。人間は自然の外に立つ存在ではなく、その懐に抱かれ、生かされている。まるで人間に味わってもらうのを待つかのように、豊穣で味わい深い世界。
解剖学者の養老孟司氏は「昔は世界の半分が『自然』で、あとの半分が『人間関係』でした」と言います。もし私たちが「人間関係」だけに生きるなら、五感より自意識ばかりが膨らみ、世界は狭まるでしょう。ほんとうは「半分」なものが「すべて」になる。その歪みが、私たちを息苦しくさせるのかもしれません。
陽気ぐらしは、人と共に生きることなしには実現しない。人は大切です。けれど同時に、「親神の懐住まい」を“味わう”こともまた、私たちの大切な生き方ではないか。五感を澄ますたび、世界は豊かに深まる。
そうして開かれた心には、陽気遊山へのをやからの呼び声が、そっと響いてくるのです。