日々、教祖と一緒ににをいがけ – 三年千日 教祖と私
小寺悦子(本芝房分教会よふぼく・49歳・三重県鳥羽市)
平成15年、埼玉県に住んでいた私は、1歳の息子と散歩中に、同じく子連れの若いお母さんからにをいを掛けていただきました。その方は、やんちゃそうな見た目に反し、わずか信仰1年にして徹底して教祖のひながたを歩んでおられる最中でした。その格好良さに憧れて、私は今日までこの道を通ってきたのだと思います。
所属教会に初参拝した日、前会長夫人から「あなたはこれから、新しい小寺家を築くのよ」と言っていただきました。そして「どんな中でも通っていけるように」と、修養科を出させてもらいました。
21年、主人が親の稼業を継ぐことになり、三重県の主人の実家に引っ越しました。主人は大きな負債を引き受け、家庭内は緊迫感で息もできないような状況に。前会長夫人の「どんな中でも」という言葉の深い意味合いが、ずっしりと感じられました。
教会から離れた地で独り、重い心を引きずってにをいがけに歩くなか、初参拝、初席、修養科へと進んでくださる方が2人できました。その一人、家庭の事情で悩んでおられたAさんが、ようやく修養科を志願されたとき、前会長夫人から頂いた温かいねぎらいの言葉が、まるで教祖のお言葉のように感じられ、ありがたくてもったいなくて涙が止まりませんでした。思えば教祖は、私がなんとか踏ん張り、通りきれるようにと、おたすけの御用を下さり、励ましてくださっていたのだと思います。
前会長夫人は常々、おたすけをしていんねんの切り替えをするよう促され、昨年、息子の事情を通して、その言葉が真に胸に治まりました。与えを喜ぶ心を定め、苦労に向き合う覚悟を決めてにをいがけに歩き始めると、どんな人との出会いも面白く思えてくるから不思議です。にをいは掛からなくても、親神様・教祖と問答しながら歩くなか、自分の癖性分にも気づくことができ、教祖の「楽しめ、楽しめ、楽しめ」というお声が聞こえてくるように感じます。
この1年で、教祖に喜ばせてもらうばかりでなく、少しでも教祖に喜んでもらえるよふぼくに生まれ替わりたい。そんな思いで日々、教祖と一緒ににをいがけに歩かせていただいています。