心が生まれかわる別席へ – 視点
2025・5/14号を見る
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教祖140年祭活動も大詰めを迎えるなか、5月の親里は多くの団参が組まれており、別席場はいつも以上に賑わいを見せている。ここで別席のお話について少し振り返りたい。
「おさづけ」の理は、一人ひとりの心に頂戴する天の与えである。それにふさわしい心を、別席でお話を聴かせていただくことによってつくらせていただくのである。
別席の順序を運び、だんだんと席を重ね、話の理によって「ほこり」を払い、行いを正すうちに、心は澄んで、人をたすける心へと生まれかわる。その澄みきった、たすけ一条の心に頂戴する天の与えが「おさづけ」の理である。
辻忠作という先人は、「別席と云ふは、何んの為めにするものや。(中略)真実の心をさだめ、胸を定めて、第一我心、我身をすみやかに、あきらかに治め、又我家、我家中一列一手一つの理に治めるために九度の別席をして十分澄ましたるうへ、それ天より戴く御授けであります」(『みちのとも』大正7年9月号)と語っている。
別席のお話の内容は、具体的な経験談が入っているわけでもなければ、面白おかしい話でもない。純粋な理のお話であり、お道を信仰し始めたばかりの人にとっては、難しいものかもしれない。
別席制度は、明治21年に始まったが、台本が統一されたのは明治31年のこと。その後、昭和30年に改訂がなされたが、その骨子となるところは、ほとんど変わっていない。
別席のお話は、さらにその元をたずねると、教祖が取次の人々に繰り返し説いてお聞かせくださった「こふき話」にまでさかのぼると考えられている。別席の場で取り次がれているお話は、教祖直伝の教えであるともいえよう。
伝統的なお話そのままであるということもあり、いっぺんに理解することは難しいかもしれない。しかし、焦ることなく、お話の中で少しでも心に残った部分を大切にし、実生活の中に織り込む。それによって、心は少しずつ生まれかわると教えられている。
(山澤)