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教祖のひながたを頼りに – 三年千日 教祖と私


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是則晃生(小倉分教会長・56歳・福岡県北九州市小倉北区)

「教祖年祭の旬には、教会にとって大切な人が出直す」とよく耳にしたが、出直しは年祭でなくてもあるわけだし、そんなことはないと私は思っていた。しかし、その思いは外れていた。

振り返れば、会長として3度目の年祭を迎える。最初の年祭の旬には部内教会長を務めていたが、私の後を継ぐと決心してくれたあるご婦人が、おはこびの直前に出直され、失意のどん底を味わった。

2度目の年祭の旬には、会長である父が出直し、後を継いだ。出直しの前日、長男を連れて病院に行くと、長男の手を強く握り、何度も「頼むぞ!頼んだぞ!」と言った。これは孫への、おまえもこの道を通ってくれとの遺言だったと思う。おさづけを取り次いで病室を出る私に、拍手を打って「ありがとう」と大きな声で言った。私が聞いた父の最後の言葉だ。

このたびの三年千日には、役員、一番古株の信者さん、そして、父亡き後を支えてくれた母が出直した。危篤になり、学生である子供たちも教会に帰ってきたが、長男は卒論提出のため、すぐには帰れなかった。そして呼吸が止まり、5分以上経ったとき、長男から、いま帰ると電話があった。もう間に合わないことを伝え、電話でお別れするように言うと、母に向けた電話口で「ばあちゃん、いまから帰るから待ってて!」と言った。すると、不思議なことに息を吹き返し、長男が帰ってくるまでの4時間を持ちこたえた。呼びかけに反応しなくなって3日経っていたが、「ただいま、帰ってきたよ!」の声に、「おかえり」と、かすかな声で答えた。そして、おさづけを取り次ぎ、「俺、教会やるからね」との言葉に「よかった」と。その後、5人の子供たちに囲まれて穏やかに時間が過ぎ、静かに出直した。母の出直しを通して子供たちは、異口同音に「教祖おるね、神様すごいね」と、ご存在を少なからず感じてくれている。

三年千日は、成人を急き込まれるうえから身上・事情の節をお見せいただく。教祖のひながたを頼りに、諦めずに、これからも、つとめとさづけを通してお働きいただけるよう地道にコツコツとつとめ、そして、もっともっと教祖を身近に感じさせていただきたい。