子供の帰りを待つお心 – 三年千日 教祖と私
山本彩子(華越一分教会教人・40歳・福井県敦賀市)
20年前、教祖百二十年祭三年千日の仕上げの年に結婚しました。事情により急な結婚式となり、両家全員がそろう日を調整する余裕がありませんでした。主人は11人きょうだいの大家族でもあったので、本部で御用をしていた長兄の帰省日に合わせて日取りが決まったのですが、その日は、実家である教会の上級教会の祭典日と重なってしまい、私の家族は全員欠席となりました。
父は「結婚式はにぎやかにするものではなく、教祖にお誓いするものなのだから、山本家の皆さんに見届けてもらえればそれでいい」と言いました。その言葉に、山本の両親が涙を流しながら頭を下げた光景は忘れられません。
父は理に厳しく、私は父に素直になれない時期がありましたが、のちに山本の母が私に書いてくれた手紙に、「彩子に若いころから苦労させてくださったこと、ご両親に感謝しています」とあるのを読んだとき、父は幼いころから徳積みの機会を与えてくれていたのだと、あらためて気づかされました。
結婚後は、主人は境内掛勤務、私は詰所の炊事ひのきしんと、夫婦でおぢばに伏せ込ませていただきました。そして、その年内に娘が誕生し、教祖百二十年祭当日は家族3人で迎えました。
それから20年が経ったいまは、19歳から0歳まで10人の子供をお与えいただき、12人家族となりました。いま、長女は大学生で一人暮らし、次女と長男は天理高校で寮生活をしており、3人が家を離れています。夏休みや冬休みには家族がそろうのが楽しみで、「何を食べたいかな」とワクワクしながら子供の帰りを待っています。
今年、数年ぶりに教祖誕生祭に帰らせていただきました。「よろこびの大合唱」に胸いっぱいになったとき、ふと、教祖も私たちの帰りを今か今かとお待ちくださっているのは、私が子供たちの帰りを待つ気持ちと同じなんだなと、ようやく感じることができました。
教祖の御前でお誓いしてから20年。教祖百四十年祭の当日は、家族12人そろって、にぎやかに帰らせていただくのを楽しみに、残りの年祭活動も夫婦で心を合わせて努めたいと思います。