星空からの問い – 成人へのビジョン 37
2025・7/30号を見る
【AI音声対象記事】
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その一節と出合ったのは、おぢばを目指し、空港へ向かう長距離バスの車内でした。
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
アラスカに魅了された写真家・星野道夫さんの著作に記された場面です。氷河での野営、降りそそぐような満天の星を見ながら、隣にいた友人が語った言葉。その問いかけに胸を打たれ、ページをめくる手が止まりました。
ふと顔を上げると、窓の外には深い緑が広がっていました。「どうすれば、伝えられるだろう」。私は真剣に考えました。
きっと、どうやっても伝えきれない。せいぜい十のうち、二か三。感動の名残として、届くかどうか。それでも私は答えを探し続けました。
本に戻ると、星野さんが「写真を撮るか、絵に描くか、言葉で伝えるか」と思案したあと、友人はふたたび語ります。
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
その瞬間、胸の霧がすっと晴れました。「感動して、自分が変わる」。なんと美しい応答でしょう。「伝える」にとどまらず、感動に「応えていく」生き方。私は深く打たれました。
美しさ、壮大さ、神秘。そうした何かに心を動かされるとき、それをどう伝えるかという問いの答えは、結局のところ「何を媒体とするか」に行き着くのではないか。言葉、写真、絵、音楽……ときにそれらは芸術となり、切実な思いが形を得る。けれど私は、その究極の媒体とは、自分自身だと思うのです。
外へ向かう創造だけでなく、内から変わってゆく自分。その変容において、感動はなおも脈打ち続ける。変わりゆく人の姿は、その奥にある感動の源へと、ふれた者の心を誘い出す。それこそが、もっとも根源的な「伝わる」の在処ではないか。私はそこに、おやさまが布教と言わずに「にをいがけ」と仰った、真意の一端を思います。それは、感動の源から立ちのぼるにをいを、自らの内に宿すことではないでしょうか。
自分が変わってゆく、胸にこだまする言葉。車窓の向こう、森の影がゆっくりと流れていきました。