天理時報オンライン

日々の理をしっかり積み上げて – 三年千日 教祖と私


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神田雅仁(久峯分教会長・64歳・大阪府堺市中区)

昭和54年、父が46歳で出直しました。天理高校の3年生だった私は卒業後の進路に迷っていました。そんなとき、当時の古市大教会長様から「大教会に来なさい」との言葉を頂き、約1年、大教会で青年づとめをさせていただきました。いま振り返ると、その声を頂いたときが私の信仰の始まりであったと思えます。青年づとめの後、修養科を修了し、境内掛に約7年勤務して、自教会に戻りました。

ある日、教会長資格検定講習会の受講者が、髙安大教会部内の泉東分教会を拠点に布教実修を行うというので、近くに自教会がある私も参加させてもらい、当時の泉東分教会前会長、村上領一先生と一緒に戸別訪問をさせていただきました。そのとき村上先生が「神田君、明日から毎日うちにおいで」と声を掛けてくださり、約2年間、泉東分教会の方々とにをいがけに歩き、貴重な経験を積ませていただきました。

平成20年に教会長のお許しを戴いたとき、私は46歳。ちょうど父が出直した年齢でしたので、この御用をつとめることでたすけていただけるのだと自覚でき、親神様、教祖の大きな親心を感じました。

教会長として初めて迎えた年祭である、教祖百三十年祭の三年千日は、神名流しと十二下りのてをどりまなびを毎日しようと決め、実行しました。これは年祭後も続け、現在に至っています。

百三十年祭のころから、交代制で詰所当番のご命を頂き、現在も大阪の教会とおぢばを頻繁に行き来し、1年の約半分はおぢばで御用をつとめています。

おぢばでは、朝づとめの1時間前に詰所を出発して、本部でお願いづとめを勤め、教祖のお出ましを拝してから朝づとめに参拝します。神名流しは、別所町の詰所から西名阪自動車道の天理インターまでを1往復。大阪でも同じくらいの距離をつとめています。

この三年千日は、神名流しと十二下りに加えて、できるだけ大教会に運び、何からでもひのきしんをさせていただこうと心に決めて実行しています。

これからも、少しずつでも日々の理をしっかり積み上げて、教祖にお喜びいただけるようつとめさせていただきます。