天理時報オンライン

教祖のお導きでもう一度お道へ – 三年千日 教祖と私


紙面レイアウト
2025・9月号を見る

下田真理子(豐山分教会教人・58歳・広島県三原市)

この三年千日に、母と兄が出直しました。とてつもなく大きな節に際し、あらためて、教祖のひながたを手本に、どんなときも教祖のお心を悟る努力をすることを心定めさせていただきました。

未信仰家庭に育った私は、22歳のときに教会長の次男と結婚し、天理教を知りました。修養科、教人資格講習会と信仰の歩みを進め、娘も授かり、順風満帆でした。しかし、夫の転勤を機に教会から離れると、いつしか夫婦の間にすれ違いが生じ、10年後に離婚。同時に信仰からも離れてしまいました。

数年後に再婚し、息子を2人授かりました。ところが、その夫が出張先で突然病死してしまったのです。失意のどん底のなか、元夫と一緒に教会で暮らしていた娘から、「お母さん、なんで教会に来ないの? 来ればいいのに」と言われ、またお道につながりたいという気持ちが芽生えました。

その後、元夫や教会長夫妻にも温かく迎えていただき、義父だった前会長からは「娘が帰ってきたと思っている」というありがたい言葉を頂いて、涙が流れました。

元夫とよりを戻したわけではありませんが、教会につながると、不思議なご守護をたくさん見せていただくようになりました。

たとえば娘の交通事故で、車が廃車になるほど損傷したのに本人は軽傷だったり、息子が自転車で信号待ちをしているところに車が突っ込んだときも、靴の側面にタイヤの跡が付いただけで済んだり。また、2年前に出直した母は、手術をするたびに、助からない命をたすけていただき、兄もまた、10年前にあと2、3年の命と宣告されながら、今年7月に出直すまで何度も命を取り留めました。

この三年千日の1年目には、家族そろっておぢばに帰り、母は中席、兄一家は初席を運びました。それが最後の家族旅行でした。

いま思えば、あのときの娘や前会長の言葉を通して、教祖が私をもう一度お道へ引き戻してくださったのだと思います。そのおかげで、母や兄におさづけを取り次がせていただくことができました。

いま、周りの人たちと健康に過ごせる日々に感謝し、この三年千日、たゆまず教祖のひながたを歩んでいきたいと思います。