見て、ともに、楽しむ。 – 成人へのビジョン 38
2025・9/3号を見る
【AI音声対象記事】
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少年会の教会おとまり会が終わったその晩、地元の花火大会がありました。大人はくたくた。妻は後片付けに大忙し。そこで、その日の夕食は私が作ることにしました。といっても、インスタントラーメンです。
ありがたいことに、教会の2階の窓からは花火がよく見えます。開始時刻が近づき、私は「いまから作っていい?」とみんなに確認しました。「いいよー!」と元気な声が返ってきます。麺を茹で、「できたよー!」と声をかけると、ちょうど花火大会が始まったタイミングでした。
「これだけ観てから食べる!」。子供たちが大声を張り上げます。勢いよく花火が打ち上げられるオープニングは、特に壮観です。私は「せっかくのラーメンが伸びてしまう」と、一人ラーメンをすすります。2階から響く子供たちの歓声。「やっぱり、いまからでも観に行こうかな」。私は悩み始めました。
それは、花火が観たいからではありません。打ち上がった花火を観て、子供たちはどんな表情をするだろう、どんなに喜ぶだろうと、その姿を見たくてのことです。花火は後からでも観られる。けれども、花火に感動する子供たちの姿は、オープニングのいまが一番。一緒にいたい、そう思いました。
私は「わー!!」という歓声に急かされるようにしてラーメンを食べ、2階へ駆け上がりました。夜空を染める花火の光が窓枠いっぱいに広がり、見上げる子供たちの瞳には、花火の光がちらちらと映っています。私は親神様の思召に思いを巡らせます。
親神様は「人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもう」と思召され、この世界と私たち人間をご創造くださいました。見て、ともに、楽しむ。それが、をやの願いです。
花火よりも子供の喜ぶ姿が見たい。この気持ちは、きっと親神様のお心と通じ合っている。「をやの教えはすべて、子供に幸せになってほしい、その一念からなんだ」。それは、言葉にするには、あまりにも素朴で当たり前のことでしたが、そのときの私には、新鮮な喜びと深い安心感をもって響いたのです。
花火と子供たち。私はただ、その二つの光景を、無性に幸せな気持ちで見つめていました。
可児義孝・河西分教会長