教えに基づく“はたらく”生き方 – 視点
2025・10/29号を見る
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昨夏、スーパーの商品棚から米が姿を消した「令和の米騒動」は国民の生活を直撃した。事態はその後、解消されたものの、米の小売価格の高止まりは続き、さらに日本の食料自給率を考えれば深刻な状況に変わりはない。
日本は農耕の国といわれるが、実際には日本の自然環境は必ずしも農業に適しているわけではない。国土の約7割が山地であり、平地が少ない。気候は温暖だが、地震、台風、豪雨などの自然災害の脅威がある。しかし、日本人は汗水たらして土地を開墾し、土壌と品種の改良に取り組むなどして、この国土を実り豊かな地に育て上げた。
その日本の農業はいま、農家の高齢化や後継者不足、耕作放棄地の増加など不安要素も多い。厳しい農作業が秋の豊かな実りを生んできたこれまでだが、汗水たらして働くことを敬遠する現下の風潮にあっては、新たに就農を希望する若者も簡単には増えないようにも思われる。
農業に限らず、そうした風潮の背景には経済構造の変化や労働観の多様化なども複雑に絡んでいる。第一次産業が経済の基軸であったころは、汗水たらして働くことと勤労とは、ほとんど同義だった。しかし平成以降、成果主義が台頭し、さらにはデジタル化やAIの導入により「汗水たらして」は美徳とは限らなくなった。フリーランス、リモートワーク、副業など働き方も多様化している。いまは働き方改革により「効率よく働いて人生を楽しむ」ことが理想とされる社会でもある。
「汗水たらして」とは単に肉体労働を指すものではなく、「誠実さ」「努力」「他者への貢献」の象徴でもある。それらが失われるとすれば、社会は「効率」「利益」「自己実現」だけを追い求める方向へ傾く心配もある。いま首都圏などで相次ぐ「闇バイト」による強盗事件も、汗水たらして働くことを厭う昨今の若者たちの風潮と全く無縁だとは言いきれない。
教祖は「もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』111「朝、起こされるのと」)と仰せられた。何ごとも喜んで、陰日向なく、わが事と思い、人の役に立つように、真実込めて“はたらく”こと。それはいつの時代にあっても、私たちようぼくが目指す教えに基づく生き方である。
(加藤)








