動けば動いた分、教祖が身近に- 三年千日 教祖と私
森本真一(小松島分教会長・56歳・徳島県小松島市)
「教祖はご存命」ということを本当に自分自身が実感し、信じきれているのかが、若いころからの課題でした。「ご存命の教祖を強く実感させていただくには、先人先生方のように、にをいがけ・おたすけを通してご守護を見せていただくこと」と思ってはいましたが、大学を卒業し、大教会青年として道一条で通らせていただくようになってからも、積極的ににをいがけに出ることが、なかなかできませんでした。
そんななか、教祖百二十年祭の三年千日が始まり、なんとかこの旬に教祖をより感じさせていただきたいとの思いから、当時の支部青年会の仲間と相談し、支部管内のすべての家へのにをいがけを年祭活動の目標としました。訪れた家には地図に赤印を付け、その成果を教祖にご覧いただこうと、勇んで戸別訪問に回りました。]
そして迎えた年祭当日、真っ赤になった地図をおぢばで教祖にご覧いただいたとき、直々に「よう頑張ったな」とねぎらいの言葉をお掛けいただいたような気がして、ご存命の教祖を、より身近に感じさせていただくことができました。もともとにをいがけが苦手な私でしたが、「教祖が一緒に通ってくださっている、喜んでくださっている」と思えるようになりました。
その後、百三十年祭に向けても、特に、にをいがけに努めさせていただき、このたびの百四十年祭に向けては、私自身の心定めとして戸数の目標を立てて、戸別訪問に取り組んでいます。心が折れそうなときも、教祖がおいでになると思えば勇気が出てきます。
先日も、訪問先の方に大変怒られてしまいました。怒鳴られ叱責されたうえ、「警察を呼ぶから逃げるなよ!」とまで言われてしまいました。それでも、怒らせてしまった相手には申し訳ありませんが、教祖が一緒に聞いてくださっていると思うと、何か誇らしいというか、喜びすら感じている自分に気づかせていただきました。
ご守護は神様の領分としてお任せして、にをいがけ・おたすけに動けば動いた分、通れば通った分、ご存命の教祖を身近に感じさせていただけます。ですから年祭活動は、私にとって本当にありがたい成人の旬であると実感しています。