身上や事情を見せてまでも- 三年千日 教祖と私
中島啓和(洛中分教会長・52歳・京都市中京区)
5年前、買い物から帰った妻が、「いま、B君に会ったよ」と言いました。そのときB君は空を見上げてブツブツと何やら独り言を言っていて、声を掛けたらハッとわれに返ったそうで、妻は「お母さんのAさんは、いまのB君の様子を知ってるのかな。連絡したほうがいいんじゃない?」と言います。
AさんとB君の親子は部内教会につながるよふぼくですが、もう10年以上、信仰から離れていました。部内教会から連絡先を聞き、Aさんに電話して、先ほど妻がB君に出会ったことや、B君の様子などを伝えました。
すると、Aさんは「数カ月前にBのマンションを訪ねたけれど、そこには別の人が住んでいて、Bとは連絡が取れず、いまどこで何をしているのかも分からない」と心配されていました。また、Aさん自身のそれまでの信仰や子育てについての反省を、涙ながらに話されました。私は、所属教会や私どもの教会に、また参拝に来てくださいと伝えました。
B君の行方が分からぬまま、Aさんは翌月から、双方の教会の月次祭に参拝し、さらに私どもの教会に日参されるようになりました。そんななか、Aさんの体に大きな身上が見つかり、一層信仰を求めるようになられました。
一方、B君は、ある事情から居場所が分かり、私どもの教会に住み込むことになりました。慣れない教会で約1年、一生懸命つとめてくれ、その後、久しぶりに親子二人で生活するようになりました。
Aさんは、いまも治療を続けながら元気に過ごされ、ひのきしんや、身近な人へのにをいがけ・おたすけに励んでおられます。
B君も、仕事をしながら双方の教会への月次祭参拝を続けてくれています。また、最近はおぢばへも、月に1度は参拝に行っているようです。
AさんとB君のこれまでの人生を振り返るとき、大きな身上や事情を見せてまでも、再びこの道へ引き寄せ、導かれたご存命の教祖の温かい親心を感じずにはいられません。教祖は、これから先もお二人に大きな期待をかけ、お導きくださることと思います。そんなお二人と共に、私も成人させていただきたいと思います。