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教祖を思い浮かべれば- 三年千日 教祖と私


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田宮城司(東筑波分教会長・61歳・茨城県古河市)

18年前の11月、妻の母が入院。検査の結果、「お母さんの命は桜の花の咲くころまででしょう」と言われました。シングルマザーで苦労しながら美容室を営み、妻を育て、やっと孫に恵まれた直後のことでした。妻はこの大節に心が乱れ、惑い苦しむ毎日でした。

そんななか、『さんさい』誌のエッセーの中の「この紐放しなさんなや」との教祖のお言葉が妻の心に留まりました。さらに、十二下りのお願いづとめを勤めるなか「はやくこもとへたづねでよ」と。

「そうだ、おぢばへ帰らせていただこう」と家族の心が定まりました。医師からは、退院したら病状が悪化しても再入院できないと言われましたが、「教祖のお膝元に帰りたい」と退院。妻と母、息子、私の4人でおぢばへ向かいました。

翌日、神殿へ、教祖の元へ、はせ参じました。震えるほどの寒さでしたが、教祖殿に入ると包み込まれるような温かさが……。おさづけを取り次がせていただくと、「よう帰ってきたなあ、何も案じることはいらんで」と心に聞こえたようで、涙が溢れてきました。

翌年1月から家族4人で修養科を志願し、おぢばでの生活が始まりました。修養科では、多くの方がお願いづとめや、おさづけの取り次ぎをしてくださいました。詰所の方々も、親身に世話取りしてくださいました。「教祖を思い浮かべれば、あなたの心が温かくなる。その心で相手の心を温めましょう」。ある先生から聞かせていただいた言葉です。母は皆さんの真実によって心を温めていただき、心身の苦しみをおたすけいただき、休むことが多いながらも無事修了。それから1カ月後、穏やかに、静かに出直させていただきました。

もし教祖のお言葉を知らず、教祖のお膝元でなかったら、悲しみのどん底で、もがき苦しんでいたかもしれません。その一方世上には、いまだ教えを知らず、つらく苦しい思いをしている方がたくさんおられます。

私は教祖百四十年祭に向けて1千回の路傍講演を心定めし、人々にお道の教えと、教祖の親心を知っていただきたいとの思いでつとめています。そして、年祭の日には、教祖に喜びいっぱいの報告をさせていただきたいと思います。