人のたすかりを心から願えない – 人生相談
Q.先日、所属教会で、新型コロナウイルス感染拡大の終息を祈念し、お願いづとめが勤められました。子供のころから他人に関心が薄い私は、罹患者のニュースを見ても他人事にしか思えず、心から祈念することができません。信仰者として失格でしょうか。(23歳男性)
A.思いがけない新社会人の幕開けでしたね。中止になる行事の数々、在宅ワークという働き方にも、戸惑いやストレスを感じたことでしょう。
さて、あなたのお手紙を拝見し、あらためて私の周りを見回しても、「他人にあまり関心を示さない人っているなあ」と思います。
一方で、大きな出来事に遭遇したとき、咄嗟に人を思いやる行動を起こす人たちのことも思い出しました。その中には、他人に関心の薄かった人もいたと思うのです。
また、東日本大震災や熊本地震などでは、誰もがつらい状況の中で、優しさや思いやりの輪がいっぱい生まれたことを見聞きして、「人間っていいなあ」と感動したことを覚えています。
私たちが親神様からお借りしている体では、細胞の一つひとつが助け合い補い合っています。陽気ぐらしを望まれる親の思いは、誰にも皆に込められているのですね。
実際に、あなたも、早く普段の生活に戻れるようにとお願いづとめを勤められたではありませんか。“一人だけの普段通り”なんてありませんから、私は十分なたすけ心だと思います。せっかく自分の心に矢印を向けておられるのに、否定的な考えが先に立っては、もったいないと思います。自信を持って、人のために体を動かせば、もっと心が勇んできますよ。
回答者 :吉福多恵子 (濃飛分教会前会長夫人)
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