「おさしづ」を頼りに 慈悲深く育て導き 平野トラ(下) – おたすけに生きた女性
晩年は楢蔵と共に、おぢばの詰所へ住まいを移したトラ。初代真柱様、本席様がご在宅の日には、珍しい料理を自ら調理し、召し上がってもらうことを喜びとしたという 「育てば育つ、育てにゃ育たん」 教会の神殿普請・・・
晩年は楢蔵と共に、おぢばの詰所へ住まいを移したトラ。初代真柱様、本席様がご在宅の日には、珍しい料理を自ら調理し、召し上がってもらうことを喜びとしたという 「育てば育つ、育てにゃ育たん」 教会の神殿普請・・・
気丈な性格であったトラ。楢蔵を婿に迎えてのち、大勢の子分を抱えながら所帯を切り盛りした。子分同士、刀を持ち出すけんかを治めたときは、その度胸の良さに、誰もが恐れ入ったという 今回は、平野トラを紹介しま・・・
「三才も一生、一生三才の心」 明治17年、そのが懐妊し、国三郎はおぢばへ帰り、をびや許しを頂きました。そのが教祖の仰せ通りにすると、今までにない軽いお産で4女・秀を産みました。産後すぐにお茶漬けを頂き・・・
今回紹介するのは諸井そのです。安政4(1857)年、静岡県袋井に住む父・小坂源六、母・孝の3女として誕生。明治8(1875)年、のちの山名大教会初代会長・諸井国三郎と結婚し、2男6女を授かります。娘の・・・
佐助は東京へ、さとは笠岡へ 明治18年7月24日、洪水で出発を延ばしていた上原佐助は、赤衣を捧持し、着の身着のままで東京へ出発しました。しかし、東京に着くなり、腹部に大きな腫れ物ができて、碇清水で勤め・・・
この道は、教祖お一人から始まり、数多くの先人たちがにをいがけ・おたすけに尽くし運んだ道があって、いまを生きる私たちへとつながっています。ここでは、この道のようぼくとして「おたすけ」に生きた女性を取り上・・・