たすけ一条を第一に 人に応じて導き育て 中川よし(下) – おたすけにいきた女性
東本の道が伸展するにつれて、よしは、おたすけと信者の丹精に多忙を極めた。その仕込みの厳しさは、ひと通りではなかったという。そんな中も、入浴は決まって終い風呂に入り、皆が寝静まってから便所掃除をするなど・・・
東本の道が伸展するにつれて、よしは、おたすけと信者の丹精に多忙を極めた。その仕込みの厳しさは、ひと通りではなかったという。そんな中も、入浴は決まって終い風呂に入り、皆が寝静まってから便所掃除をするなど・・・
おたすけに掛かると、二昼夜かけて丹波とおぢばを徒歩で往復し、幾度となく寒中の水行を重ねたよし。不思議なご守護が続出するなか、初めは冷ややかだった人々も、わが身を顧みず奔走する「たすけのおよし」を慕うよ・・・
教祖を一途に慕い、道広めに生涯を捧げたよね。その生きざまを、嶽東のある老役員は「富士の磐根のような方であった」と語っている 寄り来る人々に心を尽くし 明治23(1890)年2月ごろ、鈴木よねから荒木は・・・
生来、信心深かったよね。幼少のころ、実家に一夜の宿を乞うた僧が「この子は千人の人に拝まれる人相をしているから大事に育ててやってくれ」と言い残したという 今回紹介するのは、鈴木よねです。安政4(1857・・・
晩年、信者から「池奥様」と慕われたハナ。夫である四郎平から数えて4代の会長に仕え、二度の教会移転普請をつとめ上げた。 「鴻明講」から教会設置へ 明治24(1891)年春、池四郎平は初めておぢばへ帰り、・・・
家業の石油掘りに勤しむ両親に代わり、家に祀った神様を守り続けたハナ。20年来の眼病をたすけられたことへの感激は尽きることなく、多くの人々を導いた。 今回は、池ハナを紹介します。ハナは安政5(1858)・・・
晩年は楢蔵と共に、おぢばの詰所へ住まいを移したトラ。初代真柱様、本席様がご在宅の日には、珍しい料理を自ら調理し、召し上がってもらうことを喜びとしたという 「育てば育つ、育てにゃ育たん」 教会の神殿普請・・・
気丈な性格であったトラ。楢蔵を婿に迎えてのち、大勢の子分を抱えながら所帯を切り盛りした。子分同士、刀を持ち出すけんかを治めたときは、その度胸の良さに、誰もが恐れ入ったという 今回は、平野トラを紹介しま・・・
「三才も一生、一生三才の心」 明治17年、そのが懐妊し、国三郎はおぢばへ帰り、をびや許しを頂きました。そのが教祖の仰せ通りにすると、今までにない軽いお産で4女・秀を産みました。産後すぐにお茶漬けを頂き・・・
今回紹介するのは諸井そのです。安政4(1857)年、静岡県袋井に住む父・小坂源六、母・孝の3女として誕生。明治8(1875)年、のちの山名大教会初代会長・諸井国三郎と結婚し、2男6女を授かります。娘の・・・
佐助は東京へ、さとは笠岡へ 明治18年7月24日、洪水で出発を延ばしていた上原佐助は、赤衣を捧持し、着の身着のままで東京へ出発しました。しかし、東京に着くなり、腹部に大きな腫れ物ができて、碇清水で勤め・・・
この道は、教祖お一人から始まり、数多くの先人たちがにをいがけ・おたすけに尽くし運んだ道があって、いまを生きる私たちへとつながっています。ここでは、この道のようぼくとして「おたすけ」に生きた女性を取り上・・・