手を取り合い未来へ一歩 – 日本史コンシェルジュ
1945年8月9日、スイス人医師マルセル・ジュノー博士が来日しました。連合軍捕虜を救済するための調査が目的でしたが、広島の惨状を知った博士は、直ちに連合軍司令部へ救援を要請。博士は、9月8日に自ら広島・・・
1945年8月9日、スイス人医師マルセル・ジュノー博士が来日しました。連合軍捕虜を救済するための調査が目的でしたが、広島の惨状を知った博士は、直ちに連合軍司令部へ救援を要請。博士は、9月8日に自ら広島・・・
戦前戦中と、慶應義塾の塾長を務めた小泉信三は、昭和20年8月15日の昭和天皇の玉音放送を、病院のベッドで聞きました。最愛の息子と多くの教え子を戦争で失ったうえに、自身も東京大空襲で大火傷を負ったからで・・・
能登半島地震で被災された皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。新しい年を迎え、ご家族で新春を寿いでいた矢先に、まさかあのような大きな地震に見舞われるとは、誰が想像したでしょう。 被災された皆さまに、・・・
江戸後期、600を超える村々を経済的疲弊から救ったといわれる、二宮金次郎。今回は、これまでふれてこなかった金次郎流の増収について、お伝えしますね。 金次郎は財政再建を託された藩の収入を増やすために、フ・・・
江戸時代後期、日本中が経済的疲弊に喘ぐなか、600を超える村々を救ったといわれる二宮金次郎。今回は、そんな金次郎も手を焼いた桜町(現在の栃木県真岡市)の振興の事例をご紹介しますね。 桜町は、耕地よりも・・・
かつて、全国の小学校には必ず「二宮金次郎」像がありました。背中に薪を負い、胸の前で本を開き、半歩踏み出す姿は、勤勉・勤労の象徴でした。 江戸時代後期、現在の神奈川県小田原市の裕福な農家に生まれた金次郎・・・
貧しい農家に生まれた豊臣秀吉。彼の夢は武士になることでした。しかし実際は、農民から天下人へと夢を遥かに超えた人生を歩んだのです。その陰には、秀吉に自分の夢を重ね、天下人の座へ押し上げた人たちの存在があ・・・
「ジョン万次郎」こと中浜万次郎の人生には、「数奇な運命」という言葉がぴったり。土佐の貧しい漁師の家に生まれた万次郎は、14歳のとき、仲間と漁へ出て遭難。漂流7日目、絶海の孤島「鳥島」に上陸しました。 ・・・
「願わくば、われ、太平洋の橋とならん」 これは、東京大学の入試の面接で、英語を学ぶ理由について問われた際の新渡戸稲造の言葉です。その言葉通り、彼は国際連盟の初代事務次長として国際紛争の調停や人種差別の・・・
現在放送中のNHK連続テレビ小説『らんまん』。主人公のモデルは「日本の植物学の父」牧野富太郎。50万点もの植物を発見して、それらの名付け親になった人物です。この富太郎と肩を並べる天才が、コケの分野にも・・・
世界を見渡すと、古代から現代まで戦乱の歴史に溢れています。では逆に、平和な時代はどのくらいあったのでしょうか。 西洋で語り継がれているのは、「パックス・ロマーナ」。紀元前27年から約200年間、ローマ・・・
宝暦13(1763)年5月25日、伊勢松坂の新上屋という宿屋で、賀茂真淵と本居宣長は運命的な出逢いを果たしました。これは、二人の人生において大きな出来事であっただけでなく、国学の正統な系譜が継承された・・・
江戸時代中期、国学者として名を馳せた賀茂真淵が、お伊勢参りの帰りに松坂(現在の三重県松阪市)に宿を取り、疲れた身体を休めていると、本居宣長と名乗る青年が面会を求めてきました。 宣長は、昼間は町医者をし・・・
「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」の名言で知られるクラーク博士。 札幌農学校の初代教頭となった博士は、来日早々あることに悩まされていました。悩みの種は、高い資質と意欲を持・・・
南極には「白瀬海岸」「開南湾」という地名が存在します。日本人で初めて南極に上陸した探検隊の隊長と、彼らが乗っていた船の名が、それぞれの由来です。 白瀬矗は明治維新間近の1861年、現在の秋田県にかほ市・・・
嘉永6(1853)年6月3日、日本を揺るがす大事件が発生! ペリー来航です。 それはまるで城が海の上を走っているよう。巨大な船は蒸気の力で動くうえに、大砲を備えていました。黒船を見た人は、みな恐怖に震・・・
薩摩(現在の鹿児島県)から日本中へ普及した「サツマイモ」。天候不順に強く、栄養価に優れ、保存もきくので、江戸時代から近現代に至るまで、人々を飢えから救う貴重な食糧源となりました。実は、サツマイモを中国・・・
俳句や和歌で「月」と言えば、それは秋の月を指します。そう、「月」は秋の季語。夜空が澄みわたる秋は、月がことさらに明るく美しく輝くからです。その月を天体として観測し、日本人で初めて観測図を描いた人物が、・・・
1945年1月末日、神戸出身の島田叡が沖縄県知事に任命され、着任しました。今は選挙で知事が選ばれますが、当時は内務省のキャリア官僚が任命されたのです。 前年10月から、沖縄は米軍の空襲に晒されていまし・・・
日本初の本格的な西洋医学の翻訳書『解体新書』 。 この翻訳事業は、若狭(現在の福井県)小浜藩の医師・杉田玄白と、豊前(現在の大分県)中津藩の医師・前野良沢を中心に進められました。 1770年、良沢は遊・・・