天理時報オンライン

教祖の元で青年づとめをさせていただく心で


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葛西直己(津輕大教会長・50歳 青森県弘前市)

「あほうの心」

この心でありたいと、いつも思っています。特に年祭への歩みで自分には欠かせない心だと思っているのですが、実際のところはほど遠く、「あほう」ではなく「アホ」と言われることが多い私です。

そんな私自身、三年千日をどう通らせていただいたらいいかと考えました。教会長なので、正直、ずっと教会内容が充実する方法ばかり模索する日々を過ごしていました。しかし最近、少し考えが変わってきたのです。

たとえ教会の状態が良好だと思えるときも、どこか勇めていない自分がいるのです。それは、自ら精を出して働くわけでもなく、決して親の目にかなっているとは言えない日々を過ごしているときです。そこで気づいたことは、自分が勇める道の姿は、教会内容の充実もさることながら、まずは自分自身が、教祖の道具衆としてどのような日々を通っているかということでした。

そのうえで、このたび諭達をご発布いただいて思ったことは、私の感じた限り、諭達に示されていることは「よふぼく」一人ひとりの成人なのです。「教会長の成人」とは書かれてありません。つまり、たとえ教会長として立派だとしても、よふぼくとしての態度が伴っていないことには真の教会長とは言えないのではないか、と思案するのです。「なるほどのよふぼく」であってこそ、一人前の教会長と言えるのではないかと。そして、そのうえで初めて教会内容充実のご守護も見えてくるのではないかと思いました。

さらに言えば、家庭内においても「なるほどのよふぼく」であってこそ本物と言えるのでしょう。にをいがけに歩いた日でも、自宅に帰った途端に、ちょっとしたことで文句を言ってみたり、外でよく働き重宝されているときも、家族には思いやりに欠ける態度を取っていたり、私はそうしたことをよくやってしまいます。帰宅して、上着と同時に“よふぼく着”まで脱ぎ捨ててしまうのでは、それはいわば「仮面よふぼく」であります。

教祖はあるとき、桝井伊三郎先生に、「伊三郎さん、あんたは、外ではなかなかやさしい人付き合いの良い人であるが、我が家にかえって、女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』一三七「言葉一つ」)と、お諭しになりました。誠に反省することしきりです。

本物のよふぼくであるために、教祖百四十年祭に向けての日々を具体的にどう通るべきか考えたとき、千日とお示しいただくのですから、たとえ少しの時間でも毎日動くことをおろそかにしてはいけないと思いました。1日欠かすと999日になってしまいますので。

そこで、満遍なく通るために、私は日々を「教祖の青年」としてつとめさせていただこうと思いました。教祖のおられるお屋敷に一人、青年づとめをしていると想像して、何でもハイと受けて、ひながた通りに働かせていただく。「いつか、よふぼく」ではなく「いつも、よふぼく」である、ご存命の教祖を忘れない、使い勝手のいい青年として3年間つとめる努力をさせていただこうと思うのです。

教祖のお声は聞こえませんが、諭達がお声の代わりです。私は諭達から、「陽気ぐらしへと進むただ一条の道がひながたであり、まねをすべきは先人先生方の御態度であり、その行いは人だすけである」と受けとめ、心に治めました。

思えば、明治20年陰暦正月26日に取りかかられた世界たすけのおつとめは、「命捨てても」という精神定めで挑まれた姿でした。恥ずかしながら私自身、命を懸けたおたすけをしたことがありません。誠心誠意おたすけに掛かってきたつもりですが、まだまだ不十分であったと思います。今後、待ったなしのおたすけに直面した際には、「命捨てても」という覚悟で親神様のご守護にすがりたいと思います。

現在50歳になり、わが人生を振り返ると、感謝するべきことに溢れていると気づきました。両親、家族をはじめ、教会の在籍者、部内の会長さん奥さん、たくさんの信者さん方、そして、おぢばの御用でお使いいただくなかで出会った大勢の教友の皆さま。思えば思うほど、たくさんの方に恵まれた50年だったと感じます。ですから、私のような者が頂いてきた幸せいっぱいの時間へのご恩報じとして、これから先の自分の命を実としてお受け取りいただき、人だすけに取り組んでまいりたいと思います。

私の夢は、教祖の1番の信者になることです。この3年間で、少しは「アホ」から「あほう」に近づき、1番は無理でも100番くらいには入れる、教祖の信者にならせていただきたいと思い描いています。そして欲を言えば、ほんの少しでも、真柱様の支えとなる一人にならせていただきたいと願っています。