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どんなときも教祖がたすけてくださる – ひながたと私


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安藤恵介(元宮名分教会長・54歳・名古屋市熱田区)

教祖110年祭へ向かう仕上げの年に結婚し、毎朝5時半に上級教会へ日参する心定めをしました。

120年祭への仕上げの年には、父が出直し、会長として年祭を迎えました。地域に根ざした布教を心がけ、参拝場4畳の教会が、少しずつにぎやかになりました。

そして、130年祭への仕上げの年には、大きな節をお見せいただきました。8月、ある行事のため家族で大教会に泊まった、その夜中のこと。信者Kさんから「息子が置き手紙を残して行方不明になった」との連絡。隣で寝ていた上級の会長夫妻が私たちの様子に気づき、一緒に大教会神殿で、夜中の2時から十二下りのお願いづとめを勤めてくださいました。

Kさんの話では、息子さんの車が港で見つかり、翌朝から3日間、一斉捜索されるとのこと。私たちは教祖に、なんとか命をつないでくださいとお願いしました。どうかこの拍子木の音が届くようにと、猛暑の中、教会から十数キロ先の上級教会まで神名を流したり、家族で何度もお願いづとめを勤めたり、ひたすら祈り続けました。

3日目の夕方、捜索が打ち切られ、諦めかけたとき、「発見されて病院に運ばれた」と連絡が入りました。普段は誰も入らない草むらに倒れているのを、久しぶりに見回った管理人が発見したそうです。見つかった時刻は、上級の会長が、さらに上級の教会へ運び、皆でお願いづとめを勤めてくださっているさなかでした。

その後、当人は「何度も海に飛び込もうとしたけど、その瞬間に体が動かなくなった」と。

ご存命の教祖のありがたさ、そして、わが事として動いてくださった上級教会の方々の真実に、感謝の涙が溢れました。その後、Kさん家族は教会に欠かせない人材となり、息子さんは別席を運び、自衛隊に入隊。現在、能登半島地震の後方支援に努めています。

結婚して29年、上級への日参を続けてきたおかげで、どんなときも教祖が、その道筋を通って教会をたすけてくださっていると実感しています。ひながたを慕って、日々コツコツとおたすけに励み、教会のよふぼくにも心をつないで、少しでも成人した姿を教祖にご覧いただきたいと思います。