天理時報オンライン

節は親神様のお導きと悟って – ひながたと私


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別所真紀子(攝和分教会長夫人・55歳・高松市)

このたびの三年千日活動のお打ち出しを頂いたとき、私はこの旬の一日一日を心明るく喜んで通ろうと心定めしました。心の持ち方一つで、周囲の状況はおのずと変わってくるように思います。とはいえ、すべて喜びに変えて通ることの難しさは、これまでたびたび体験してきました。喜べないときは、教祖のひながたを見つめておわびを申し上げ、心新たに勇ませていただく今日の旬でありましょう。何ともならないつらい節を頂いたときほど、「節のおかげ」と分からせていただくのです。

信仰生活の日々、生かされていることに感謝し、教祖にもたれ、教祖と向き合いながら心明るく通らせていただいています。

そんななか、2023年12月、高校生の娘が盗撮被害に遭いました。それも2件もです。神様は何を知らせてくださったのでしょうか。

一人の加害者は未成年でした。母親が長く入院しているため父親との二人暮らしで、家事をしながら大学進学を目指すなか、心身のストレスが高じていたとのこと。もう一人は20代の会社員。仕事の激務のストレスから犯行に及んだとのことです。

ともあれ、まずは娘自身に危害が及ばず無事であったこと。大難を小難、小難を無難にご守護いただいたことを喜び、感謝申し上げました。

先方のそれぞれのご家族には、会長から「私たちは天理教の信仰者です。今回のことは、こちらにも非があったのかもしれません。もし何かお力になれることがありましたら、させていただきます。ご家族一人ひとりが神様に守られ、明るい未来に導いていただけるよう願っております」とお伝えしました。

その方たちの「誰かたすけてください!」という心の叫びを、娘を通して知らせていただけたことを思い、この節は親神様のお導きであり、親心からの節であったと悟らせていただいています。成ってくるのが天の理と素直に受けとめ、自らの心の持ち方を見直す機会を与えていただきました。

親神様のお心を感じ、実行し、教祖のひながたを常に心に置いて、年祭の旬を心明るく、喜び勇んで通らせていただきたいと思います。