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教祖に喜んでいただけるように – 三年千日 ひながたと私


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延原正和(豊並分教会教人・41歳・岡山県奈義町)

「諭達第四号」を拝読して、ドキッとしました。これまで自分は、ひながたを目標に生きてきたか。そもそも、ひながたの道を分かっているのか。教祖年祭を前に、そう問われたように感じたのです。

教会長の長男である私は、今回の教祖年祭に特別な思いを持っています。年祭の年に教会が創立100周年を迎え、それに合わせて会長を交代することになったからです。

三年千日の旬に、22年間暮らした親里を離れ、妻子と共に教会に戻りました。この3年間は、教会を預かる覚悟と、その立場にふさわしい信仰をつくる期間だと思って日々を過ごしています。

教会の周辺は、のどかな田園風景が広がる田舎ですが、実態は少子高齢化、過疎化が急速に進む集落です。ここでの教会の役割とは何なのか、にをいがけやおたすけができるのかと悩んできました。

しかし今年、修養科や教人資格講習会で、あらためて教祖のひながたを学ぶなか、自分が難しく考え過ぎていたことに気がつきました。これまでは、教祖の御苦労ばかりに気を取られ、教祖がどのようなお心で、また、どのようなお姿で通られたかということを意識していませんでした。「人一人なりと救けねば、その日は越せぬ」との、常に人をたすけたいというお心、そして、自ら先頭に立って喜び勇んで通る姿を見せ、お声かけ一つで周囲の人々を勇ませる、そのお姿こそ、まず倣うべき点だと感じたのです。

会長である父は、母と共に集落を守っていこうと、作り手のいない田んぼを請け負ったり、お年寄りへの声かけや世話取りをしたりして、地域へのさまざまな支援を行っています。そして、その思いに共感し、教会に足を運ぶようになった方もおられます。この父母の生き方も、教祖に喜んでいただける姿の一つだと思います。

私もいま、父母を見習い、少しでも地域に貢献できるように努めています。今後ますます地域を取り巻く環境が厳しくなるなかで、自分に何ができるのか、これから模索していかねばなりません。

そうした日々のなかも、教祖のお心とお姿をいつも心に置いて、教祖に喜んでいただける生き方を目指していきたいと思っています。