喜びを探し求め日々通る中に – 視点
2024・7/3号を見る
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中山善衞・三代真柱様がお出直しになり、早くも10年が経つ。祥月命日である6月24日、教会本部で十年祭が勤められた。
「教会内容の充実」は、一貫して強調されたことである。神殿講話で「教会内容の充実は私の悲願」と話されたこともある。
かつて三代真柱様は、教会内容の充実を目指すうえでの心がけについて、次のように述べられた。
「どう働けば人に喜んでもらえるか、同時に自分もそれによって、喜びを得させてもらえるか。また、どう働けば、親神様・教祖に、すなわちをやに喜んでいただくことができるかということを考えて、その働きを精一杯にするということが、言わば教会内容充実を目指す私たちの日々の心構えであると思う」
『三代真柱お言葉 教会内容の充実』
そして、教会長の心得について、喜びを探しながら通らせてもらうことが大切だとして、次のように話された。
「喜びは自分自身が求めなければならないのであります。嬉しい嬉しい心は、自分自身が与えられた姿の中から探さなければ、黙っていて天から降ってくるものではない」
(同)
日々の嬉しい楽しい心こそが積極的な活動を生み、積極的な活動が積極的な結果を得ることにつながっていく、と言われたのである。
三代真柱様は、お若いときから津々浦々の教会へ巡教に回られた。たすけ委員長としての、また教区修理人としての教会巡教を合わせると、その数は優に2千カ所を超える。その各所で、寄り集った人々と膝をつき合わせて語り合い、教祖の教えを、そのひながたを説き続けられた。
いま、そのお言葉を読み返すと、どのお言葉も、教祖ひながたの道を素直に歩んでもらいたいという親心にあふれている。聞き手が少しでも理解できるようにと、平易に嚙みくだき、言葉を変え、表現を工夫して話されている。
その奥には、前述のお言葉のように、自ら親神様・教祖の思召を求め、喜びを求めて通られた日々の積み重ねがあったのではないか。
在りし日のお優しい笑顔が懐かしく思い起こされる。
(山澤)