被災地の復旧に力を尽くす教友たち – 企画特集 能登半島地震から半年
2024・7/17号を見る
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129日で延べ7264人が実動 – 災救隊
元日、石川県で最大震度7を観測し、能登地方を中心に甚大な被害をもたらした「令和6年能登半島地震」から半年が経過した。
このたびの地震では、被害の大きい地域が能登半島の先端だったため、幹線道路の通行止めや農地損傷などによりインフラの復旧が遅れた。また、自治体による倒壊家屋の撤去作業がさまざまな事情で進まず、瓦礫がそのままになっている地域も少なくない。
地震による被害者数は、死者281人(災害関連死52人を含む)、重傷349人、軽傷977人、行方不明者3人。住家被害は全壊8,429棟、半壊2万1,370棟、床上浸水6棟、床下浸水19棟、一部損壊9万7,510棟となっており、現在も191の避難所で2,086人が避難生活を余儀なくされている。
本教では地震発生3日後の4日、災害救援ひのきしん隊(=災救隊、冨松基成本部長)本部が給水車2台を緊急輸送したことを皮切りに、翌5日から災救隊石川教区隊が給水活動を開始。16日からは本部隊が出動し、給水支援や避難所への食事提供など支援・救援活動を懸命に続けてきた。その後、4月1日に宿営地を輪島市の日本航空高校石川の校舎へ移してからは、ブロック塀の解体・撤去などの復旧支援に力を尽くした。
また、各地の直属教会や教区・支部、さらには教友有志が相次いで被災地へ駆けつけ、現地の教友と協力しながら、現在もさまざまな救援活動を継続している。
こうしたなか、災救隊本部隊は6月30日をもって、全40次隊にわたる救援活動に区切りをつけた。この約5カ月半で実動した災救隊員の数は、129日で延べ7,264人に上る。
(10日記)
誠真実をもって救援活動に努め
全国各地から被災地へ – 災救隊本部隊
災救隊本部隊の第1次隊は1月16日、石川県輪島と珠洲の両市の避難所へ出動。避難所の運営サポートや避難者の食事提供などを開始した。
その後、第4次隊(28~30日)からは、石川教区隊が七尾市で続けていた給水支援活動を引き継ぎ、第6次隊(2月3~5日)からは、輪島市内数カ所の避難所への炊き出しを開始。第7次隊(6~8日)からは、珠洲市内の避難所への食事提供を続けるとともに、同市災害ボランティアセンターの要請を受け、被災した民家でブロック塀の解体や“災害ごみ”の搬出と撤去などの復旧作業に着手した。
また、第7次隊の活動をもって七尾市での給水支援を終え、第8次隊(9~11日)からは、石川教区隊が志賀町で実施していた救援活動を引き継ぎ、同町ボランティアセンターの要請を受けてブロック塀の撤去作業に尽力。このほか、珠洲市では小学校の給食の提供を任された。
2月6、7の両日、中山大亮様は、被災した教友のお見舞いと、救援・支援活動に当たる教内関係者の激励のため、被災地へ赴かれた。さらに14、15の両日には、中田善亮表統領が被災地を視察した。
こうしたなか本部隊は、第19次隊(3月17~19日)をもって避難所などへの食事提供にひと区切りをつけ、第20次隊(4月1~4日)からは、輪島市の日本航空高校石川の校舎の一部に新たな宿営地を設け、復旧支援を中心とする活動に着手。輪島、珠洲の両市の社会福祉協議会と緊密に連携しながら、一般ボランティアには対応が難しい現場で、倒壊したブロック塀の解体作業などに力を尽くした。
第29次隊(5月11~13日)からは、教区隊に加え、青年会隊も出動。以後、第40次隊(6月28~30日)まで七尾、輪島、珠洲の3市と志賀町へ出動し、ブロック塀の解体と搬出、災害ごみの運搬などを担ったほか、被災教会の倒壊した外壁の解体や撤去なども行った。
約5カ月半にわたる災救隊の活動は、129日間の全40次隊で46教区隊延べ7,264人が実動。活動実績は給水支援49.5トン、避難所などへの炊き出し1万9,529食、ブロック塀解体428件、災害ごみ(家財・ブロック塀)搬出・運搬1,375トンとなった。
第40次隊の解隊式では、田中昭二・輪島市社会福祉協議会事務局長があいさつに立ち、「災救隊の皆さまには地震発生直後から、被災地救援のために全国から駆けつけていただき、被災者への炊き出しをはじめブロック塀の解体作業など、多くの支援をしていただいた。支援を受けた被災者からは、『瓦礫を綺麗に片づけていただき気持ちが楽になった』と大変喜ばれている。長期にわたり、ご支援を頂いたことに心からお礼を申し上げる」と謝辞を述べた。
また、塩井豊・珠洲市社会福祉協議会事務局長は「珠洲市でも大規模な被害となり、地域住民は何から手をつけたらいいのか分からない状況だった中で、災救隊の皆さまが被災者に寄り添う支援を継続してくださったことが本当に有り難かった。災救隊の皆さまの活動には、被災者をはじめ、ボランティアセンターのスタッフなど多くの人たちが勇気づけられた」と語った。
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なお、災救隊石川教区隊は、今後も管内の被災した教会や布教所、信者宅の復旧支援のニーズを聞くとともに、輪島、珠洲の両市の災害ボランティアセンターからの要請に応え、救援活動を継続していく。
教友有志による支援も精力的に
地震発生直後から、被災地では教友有志によるさまざまな支援活動が展開された。現在も、各直属をはじめ、教区・支部や個人による救援活動が精力的に続けられている。
珠洲市の北乃洲分教会(矢田勝治会長)と寶立分教会(石橋雄一郎会長)は、地震発生から7日後の1月8日、独自に「珠洲ひのきしんセンター」を開設。教内外を問わず多くの支援団体を受け入れ、避難者の食事の調理や被災家屋の解体作業などに取り組んだ。さらに、ホームページを立ち上げ、刻一刻と変化する被災地のニーズに応じた支援物資などの更新情報を発信してきた。
また、災救隊本部隊が珠洲市へ出動する際には、現地の最新情報を提供するなどして活動に協力。さらに、2月3日に珠洲市のボランティアセンターが立ち上がってからは、同市社会福祉協議会と連携しながら、被災民家の災害ごみの搬出や貴重品の回収などの作業も担っている。
現在も同センターでは、食事調理や被災家屋での作業のほか、仮設住宅への慰問など、多岐にわたる支援活動を繰り広げている。