おやのことば・おやのこころ(2022年7月20日号)
親神にとっては世界中は皆我が子、
『稿本天理教教祖伝』第六章「ぢば定め」
一列を一人も余さず救けたいのや。
数十年前の7月、留学中のエジプト・カイロから陸路でイスラエルへ入り、エルサレムにある大学の夏期講座を受講する機会がありました。
その際に、紀元前120年ごろ、同国東部の死海を見下ろす高さ400メートルの岩山の頂上に建設された「マサダ」を訪れる研修ツアーに参加しました。ヘブライ語で「要塞」を意味し、難攻不落といわれたマサダは、ユダヤ人にとって悲劇と結束の地として知られています。
紀元66年、ローマ軍とのユダヤ戦争が始まり、70年にエルサレムが陥落。生き残った約1,000人のユダヤ人たちはマサダに3年間籠城しますが、強靭なローマ軍に力及ばず、選民としての誇りと信仰を胸に「異教徒に辱めを受けるくらいなら死を」と集団自決したのです。
未明に麓を出発し、険しい崖路を登り続けること数時間。東の空が白むころ山頂に着くと、そこには想像を遙かに超えた全長600メートルの巨大な遺跡群が点在していました。宮殿、浴場、シナゴークなどが整い、要塞というよりは、一つの街が存在していたかのようでした。
見学を終え東の空に昇る朝日を眺めていると、ユダヤの人々の悲壮な歴史を憂い哀れむ感情が込み上げる一方で、1,800年以上の時を経て、すべての人間は等しく親神様の子供であり、争い合うのではなく兄弟姉妹としてたすけ合い、支え合うことこそが、陽気ぐらしへの道だと教えられた、教祖の力強いお言葉が思い起こされたのでした。
眼下に広がる死海の水面には、真夏の朝の陽光がキラキラと映えていました。
(足立)