天理時報オンライン

あんな人になれるでしょうか?- 身近で聞いた素朴な問いにWAKUさんがお答えします


紙面レイアウト
2021・7月号を見る
イラスト/なんばなつこ

「通学路にある教会の奥さんは、私が落ち込んでいると、いつも『負けるが勝ち』と言って笑ってくれます。それを聞いて、悔しい気持ちも治まることがあります。どうして、そう言えるのでしょう……。私もあんな人になれるでしょうか?」と、友人の娘さんに尋ねられました。

「負けるが勝ち」とは、昔のカルタにもありましたね。教祖がある先人に「神様には、あほうが望みと仰しゃるのやで」と教えられたお話が思い浮かびます。

そのお話には「あほう」に対して「利口」な人が出てきます。「言われたならば言い返す、叩かれたら叩き返しをする」という姿です。利口とは、人間関係や損得の帳尻を、その都度合わせないと気が済まないという考え方かと思います。

神様が望まれるのは、なんでも喜んで受けとめる優しい心になるよう、利口な仕返しをしないよう、さらには自分を攻撃する人のたすかりをも願う姿です。それこそが真の誠と教えられます。また、あほうとは、素直で純粋で疑うことなく、「神様はすべてご存じで、公平に守ってくださる」と信じて、もたれている姿とも言えるでしょう。

教会の奥さんが「負けるが勝ち」と言われるのは、負けず嫌いなあなたの気持ちがよく分かるからでしょう。あなたと同じように、悔しい思いをした日があったのかもしれません。

誰もが最初から今のような境地にあるのではなく、いろいろな経験を積みながら心を治め、教えを実行できるようになってきたという人も少なくないでしょう。教えを聞いて、そのまま素直に実行できなくても、その都度苦心して問題に向き合い、自分なりに答えを見つける努力もまた、素晴らしいと思います。

その奥さんの姿は、あなたのいい目標になるかもしれませんね。


西村和久(天理教一筋分教会長)


【天理時報特別号2021年7月号】の記事が他にもあります。