人を思いやる言葉の持つ力 – わたしのクローバー
川村優理(エッセイスト・俳人)
1958年生まれ
幸せな瞬間
ニューヨークに旅行して、まず驚いたのは、マンハッタンを歩く人たちの言葉の礼儀正しさでした。
道を歩いていて、すれ違いざまに持っているカバンがちょっとぶつかりそうになったときや、前を横切るときなど、必ず「エクスキューズミー」とか「ソーリー」などと声をかけてくれます。
レジでお金をやりとりするときも、道を譲ってもらったときも、エレベーターのボタンを押してもらったときも、「サンキュー」「ユアウェルカム」という言葉が交わされます。言いそびれると、不審な顔つきで見られたり、軽く睨まれたりします。
「母の日」。タイムズスクエアの交差点を渡っていて、「ハッピーマザーズデイ」と声をかけられたことがありました。本屋さんで、すてきな本や文房具を見つけるたびに思わず「ありがとう」と言っていたら、店員さんが、帰るドアを開けてくれるとき「アリガトウ」と微笑んでいました。
一つの言葉が、幸せな瞬間を運んでくることがあります。
「おつかれさま」「ごくろうさま」
「ようこそ」「いってらっしゃい」
「ただいま」「おかえりなさい」……
相手を思いやる心を伝える言葉は、魔法の呪文のように、そこに幸せの空間をつくり、シャボン玉のように、ふっと消えてゆきます。
それを声に出さなくても、気持ちがあれば、その言葉が相手に伝わることもあります。
「ありがとう」「いいえ、どういたしまして」という気持ちは、風のように心に届くのでしょう。
ほっとする言葉
去る資源ゴミの収集日に、違う種類のゴミの入った袋がたくさん出されていたことがありました。
ほうきとちり取りを持って収集場所を掃除してくれていた年配の男の人がいたので、「ときどき間違える人がいますね」と声をかけながら、わが家のゴミ袋を置きました。
すると、その人が笑いながら言いました。
「どこも、いっしょ」
きっと、「困るよねえ」という言葉が返ってくると思っていたので、そのほっとする言葉に驚きました。そして、この間違って出されたゴミ袋をどうしたらいいだろうと、緊張していた自分に気がついて、つられて笑ってしまいました。
「そうですね。私もうっかり間違えることがあります」
子どもがまだ小さかったころ、電車の中でぐずりだし、人に迷惑をかけてはいけないと焦ってしまったことがあります。そのとき「みんな、いっしょだから」と言ってくれた女性がいたことを思い出しました。
ゴミ収集場所を掃除してくれていた男の人は、ほうきとちり取りを持って行ってしまいました。それからしばらくたって見に行くと、ゴミ袋はみんな消えていました。きっと、間違って出した人が気がついて、持ち帰ったのでしょう。
収集場所は、きれいに掃き清められていました。