プラスチック再考 – 世相の奥
2024・10/9号を見る
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新型コロナとよばれた感染症への恐怖は、ずいぶん弱まった。もちろん、まだ発病する人は少なくない。しかし、ひところとくらべれば、われわれのおびえは、よほど小さくなっている。
気がつけば、私の職場でもオフィスの様子はかわってきた。たとえば、あちこちにおいていた透明のアクリル板が、姿をけしている。天井からつるしていたビニールのカーテンも、なくなった。コロナ対策用のしつらいが、用ずみになったのである。
私の職場にかぎった現象ではあるまい。どこのオフィスでも、同じような模様替えはすすめられていよう。
と言っても、あのアクリル板を廃棄したわけではない。私の職場では、倉庫におさめている。じっさい、全国のオフィスがあれを、いっせいにすててしまえば、おおごとだ。日本中で、膨大な数のプラスチックごみが、いっきにふえることとなる。それだけは、さけなければならない。
ここまで書きすすめ、あらためて思う。どの職場でも感染対策の透明板に、ガラスはえらばなかった。プラスチック素材のアクリルボードで対処してきたはずだと。
ガラスは重くて、はこびにくい。わずかな衝撃でわれてしまう可能性がある。あぶなくて、あつかいにくい。その点、アクリルは軽くて、かんたんにオフィスへとりつけられる。われる危険性も、ほとんどない。値段も、ガラスよりずっと安くなる。アクリルがえらばれたのも、とうぜんであったろう。
そう言えば、予防接種で大量につかわれた注射器もプラスチック製である。つかいすてにされたマスクも、たいてい合成樹脂でできていた。医療用の防護服もふくめ、それらはひろい意味でのプラスチック製品である。ねんのためしるす。英語のプラスチックは、やわらかい素材も包含する合成樹脂の総称にほかならない。
そう、われわれはあの感染症を、プラスチックにささえられ、のりきった。困難なコロナ禍をとおってきた今、プラスチックの汎用性は見なおされていい。
だが、世論の大勢は、脱プラスチックという方向へむかっている。地球をよごしてしまう代表格、悪役としてあしらってきた。誰も味方をしない。化学畑の技術者も、口をつぐんでいる。あえて、世論にさからう役目を買ってでたしだいである。