呼びかけと応答 – 成人へのビジョン29
2024・10/23号を見る
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ある生物学者が次のようなことを述べていました。「科学は現象の『How(どうやって?)』を解き明かすことは得意ですが、生命の存在意義『Why(なぜ?)』に迫ることは、科学の領域を超えることだと考えられています。しかし、生命の神秘に触れるにつれ、私はその問いを無視できなくなりました。――私たちはなぜ存在しているのか」
古来、こうした問いに答えるのは宗教の役割でした。科学的関心の究極の地平は、宗教と近接しているのかもしれません。
さて、10月は立教の月です。立教の目的は「世界一れつをたすけるため」。それは「陽気遊山を見たい」という人間創造の目的を果たすことでもあります。私たちはおやさまによって初めて、親神様による人間創造の目的を知ったのです。
宗教は科学や哲学と異なり、天啓などの形で答えが与えられます。ただ、私は次のことを自問せずにはいられません。――私はあの生物学者のように、命の意味を切実に求めたことがあるだろうか。この答えに、本当に心が揺さぶられているだろうか。人は、求める前に答えを与えられると、その本当の価値が分からないのかもしれません。天啓にいかに向き合うか、それは私たち信仰者にとって大切なテーマです。
二代真柱様は、「おふでさき」に向かう姿勢について次のように述べられています。「おふでさきというものは、通り一遍に鵜呑みに出来るような対象ではなくて、それを熟読し、或は懐疑しつつ、その本意を探り進む事によつて、更に信仰を深めて行く指針となるものである」(中山正善『おふでさき概説』)。ここでの懐疑は、単なる否定ではなく、深く探求しようとする姿勢を意味すると思います。
身上や事情のさなか、あるいはおたすけの場面にあって、繰り返し読んできたご神言が突如、新たな生命を帯びて胸に迫ってくる。切々と心に響いてくる。きっと多くの信仰者が、そうした瞬間を経験しているはずです。そのとき私たちは”求めて”いるのです。
きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを
(よろづよ八首)
私たちは素直にをやへたずねていいのです。その呼びかけが、ご神言の世界を拓いていく。問いの密度が答えを充実させる。それは、従順さとはまた別の素直さ、”求道”ではないでしょうか。