“二重災害”の石川・輪島市で全5次16日間 復旧支援に尽力 – 災救隊本部隊
2024・10/30号を見る
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既報の通り、災害救援ひのきしん隊(=災救隊、冨松基成本部長)本部隊は10月2日、「令和6年能登半島地震」の爪痕が残るなか、なおも甚大な豪雨水害が発生した石川県輪島市へ出動。17日まで全5次にわたり、被災民家の復旧支援に力を尽くした。
能登地方では9月21日に線状降水帯が発生。翌22日にかけて豪雨となり、輪島と珠洲の両市を中心に土砂崩れや床上・床下浸水などの被害に見舞われた。両市では、地震と豪雨の“二重災害”に直面した住民も多く、18日現在でも400人以上が避難を余儀なくされるなど、生活への影響が長期化している。
2日から救援活動を開始した本部隊は、日本航空学園能登キャンパス(輪島市)の一部を宿営地とし、復旧支援活動を展開。最終の第5次隊では、14日から本部隊をはじめ大阪・群馬の2教区隊が出動。輪島市社会福祉協議会と緊密に連携を取りながら、一般ボランティアには対応が難しいと判断される現場へ赴き、被災民家から出た“災害ごみ”の運搬、屋内外の泥出しなどに従事した。
被災民家28軒から333トンの災害ごみ等搬出
9月21日の豪雨では、輪島市で1時間に121ミリという観測史上最も多い雨量を記録。山沿いの田畑や道路の脇には、現在も大量の土砂や流木が残る。住民から「冬の豪雪が心配」との不安の声が上がるなか、一刻も早い復旧活動が求められている。
14日午後、第5次隊として現地入りした本部隊をはじめ、大阪教区隊(平野総吉隊長)、群馬教区隊(真庭高教隊長)は、翌15日から輪島市社会福祉協議会(=社協)と連携して復旧作業をスタート。教区隊ごとに割り当てられた現場で、被災民家の周辺に堆積した土砂や、床下に流入した泥の搬出と運搬に従事した。
床下の奥まで丁寧に泥出し
16日、群馬教区隊の“重機班”は同市東中尾町にある被災民家へ。家主で大工職人の打良木俊明さん(66歳)によると、豪雨発生時、急いで仕事現場から自宅へ戻ったが、すでに裏山の土砂や流木が家屋周辺に流れ出ており、車で敷地内に入ることさえ困難な状況になっていたという。「家の近くにある作業場は大量の土砂で埋め尽くされ、大工の生命線である仕事道具がすべて使えなくなり、途方に暮れていた。身内で土砂を運び出すにも限界があり、金沢への避難を考えるなか、社協の職員に聞いて作業を依頼した」と語る。
現場は、被災民家につながる道路のうち1本が、倒木により寸断されている。隊員たちは、直前に降った雨の影響で足元がぬかるむなか、重機を駆使して流木交じりの大量の土砂を取り除き、3トンダンプと軽トラックをフル稼働して集積場へ運んだ。
打良木さんは「豪雨発生後、大工の私のもとに多くの被災者から『なんとか来てくれんか』と依頼があったが、私自身も被災したため、やむを得ずお断りしていた。力になれないことに、もどかしさを感じるなか、災救隊の皆さんが、一番の難題だった大量の土砂を撤去してくださり、仕事に復帰する一歩を踏み出せた。本当に感謝している」と話す。
また、群馬教区隊の別動隊は、同市山本町の山間部に位置する被災民家で床下の泥出しを担当。わずか30センチの隙間しかない床下に潜り込み、スコップで泥をかき出し、さらにリレー形式で屋外へ搬出し、軽トラックで何度も集積場へ運んだ。
隊員たちと一緒に作業に当たった家主の80代女性は「床下の奥深くの泥出しまで丁寧に対応してくださるとは思いもしなかった。隊員の皆さんが泥まみれになりながらも、笑顔で作業してくださる姿に元気を頂いた」と感謝の言葉を述べた。
翌17日、大阪教区隊の隊員は、同市小伊勢町の被災民家で“災害ごみ”を搬出。住人の要望を聞きながら、家財道具を手際よく運び出した。
第5次隊は17日をもって作業終了。このたびの輪島市の豪雨被災地では、全5次にわたり、11教区隊延べ451人が実動。28軒の被災民家から計333トンに及ぶ災害ごみと泥を搬出・運搬した。
持てる力を能登に注ぎ込み
能登半島地震に引き続き、災救隊本部隊が宿営地を構えた日本航空学園能登空港キャンパス管理担当理事長補佐兼事務長の中村博昭さんは「今回も、災救隊が被災地域の支援につながると思い、キャンパスの一部を拠点として提供した。災救隊の持つ重機などの装備と行動力は、自衛隊に次ぐものと評価している。地震の際もそうだったが、大きな災害では人手や重機も足りなくなる。そうしたなか、災救隊の持てる力を能登に注ぎ込んで活動してくださったことは、復興を前へ推し進める原動力になったと感じている」と話した。
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なお、災救隊石川教区隊(安田知和隊長)は、社協の要請を受け、29日から31日にかけて救援活動を行う予定だ。
(23日記)
文=久保加津真
写真=根津朝也