過ぎゆく日常 手紙が伝える心 – わたしのクローバー
辻 治美(天理教甲京分教会長夫人)
1969年生まれ
豊かな人生のひと時
携帯電話をスマートフォンに替えて2年が経ちます。スマホにはプッシュボタンがなく、つるっとした画面の変なところを触ったり、元の画面に戻れなくなったりと、慣れるまでには時間がかかりました。
しかし、いまでは何でもスマホ頼り。人への連絡はもちろん、写真を撮ったり、調べ物をしたり、病院の予約を入れたり。また、SNSで世界の人々の様子を見たり、自分の日常を発信したりもします。
この2年でスマホを見る時間がかなり増えました。老眼の目を凝らしてメッセージを打つせいか、眉間の皺も増えた気がします。
スマホや携帯電話のなかったころは、よく手紙のやりとりをしたものです。捜してみると、大切にしていた手紙がたくさん出てきました。
すぐに実家の母の懐かしい字が目に飛び込んできました。母は2年前に90歳で亡くなりました。認知症になって文字を書くことができなくなり、娘の顔も分からない様子でしたが、かつて送ってくれた手紙には、私や孫のことを気にかける言葉がユーモア交じりに綴られていました。元気なころの姿がありありと蘇ってきて、懐かしさと恋しさで胸がいっぱいになりました。
手紙は思い出の宝庫。ほかにも、海外からの友人の手紙や、ママ友からの出産時のお祝いの手紙、恩師からの励ましの手紙などがありました。もらったことも忘れていたのに、読み返すと、多くの人の思いが伝わってきて、私の人生はなんて豊かなのかと、感謝の念が込み上げてきました。
愛し愛された思い出
子供たちからの手紙も、まとまって出てきました。末っ子が長期の入退院を繰り返し、私が病院で付き添いをしているときに書いてくれたものです。
ミミズが這ったような文字や、ひらがなの「み」が裏返ったような字と、私の似顔絵も描いてあります。「大すきなおかあさんへ」と鉛筆で書かれた手紙には、何度も消しゴムで消して書き直した跡が残っています。素直な子供の気持ちが伝わってきます。
4人の子育て道中は、余裕がなくて「早く早く」とせかしたり、イライラして怒ったりすることもありました。そんな私を「大好き」と、子供たちは手紙で伝えてくれていたのです。
「未熟な親やったけど、精いっぱい子供たちを愛し、頑張っていたなあ」と、若かりしころの自分の姿まで思い出しました。時を超えて、手紙が愛しさであふれる大切な記憶を蘇らせてくれました。
画面に表示されるデジタルの文字ではなく、便箋にペンで書かれた文字。その筆跡から相手に思いを馳せる。今のスマホ生活から無くなりつつある、大切な時間です。
手紙を書いた本人たちもすっかり忘れているかもしれませんが、時々は、かつて自分を支えてくれた人のことを思い出し、豊かな人生の記憶と感謝を忘れずに過ごしたいと思います。
そういえば、子供たちに手紙を書いたのは、いつだっただろう。久しぶりに気持ちを便箋に認めてみようかな。昔、母が送ってくれた手紙のように。