第5回「おぢば帰り」- ようぼくデイズ
2024・11/27号を見る
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第18期読者モニターアンケート企画
親里や各地域における信仰実践や活動・行事などの意義や魅力について、読者モニターが自らの体験をもとにエピソードを語るコーナー「YOBOKU DAYS」。第5回のテーマは「おぢば帰り」。親神様・教祖は、子供である人間がおぢばへ帰ってくることを、いつもお待ちくだされている。教祖140年祭へ向かう三年千日活動も2年目の終盤を迎えるなか、教会や家族単位の帰参、あるいは個人が初参拝者を伴っておぢば帰りをする姿が多く見られる。今回は、「おぢば帰り」にまつわるエピソードを読者モニターに寄せてもらった。
障害のある娘が米国から一人で
川田真紀子さん
49歳・玉島ロスアンゼルス出張所長夫人・アメリカ
今月、長女がおぢばに帰り、おさづけの理を拝戴しました。
学習障害のある長女が一人でおぢば帰りをしたいと言いだしたとき、正直に言って無理だと思いました。しかし、本人の強い意思もあり、親神様・教祖にもたれることで許しました。
しかし、手続きが思うように進まず、一時は諦めざるを得ない状況に。それでも、おぢばに帰る日が来ることを信じ、6月のアメリカ伝道庁創立90周年記念祭に向けて、親子で精いっぱい伏せ込みに努めました。
記念祭後、手続きが無事に完了。たくさんの手助けを頂いて日本行きが叶い、ご守護を実感しました。
教祖140年祭には家族そろって帰参するつもりです。その際、一人でも多くの人をお連れし、教祖にお喜びいただきたいと思います。
幼少期のたった1度が種蒔きに
大塚 徹さん
66歳・櫻地分教会ようぼく・奈良県香芝市
幼少のころ、家族で初めておぢば帰りをした。しかし、その後は40歳を過ぎるまで一度も帰ることはなかった。
2度目の帰参のきっかけは妻の身上だった。母からおぢば帰りを勧められたのだ。
当時は、おつとめの手が振れず、参拝してしばらくは殿内で端座していた。そんななか、参拝者が唱える「みかぐらうた」の歌声だけが聞こえる神聖な雰囲気に包まれ、自然と心が澄んでいき、親神様の存在を強く感じた。
後日、母から別席を運ぶよう勧められた。以前なら承諾しなかっただろうが、あの体験のおかげで素直に運ばせてもらい、ようぼくの仲間入りを果たした。
幼少期のたった1度のおぢば帰りで蒔かれた種が、三十数年後に芽を出したのだと思うと、おぢばの不思議な力を感じずにはいられない。
夫婦そろっての参拝に幸せ感じて
生駒優子さん
55歳・名愛分教会ようぼく・名古屋市
夫は私と出会って初めて天理教を知りました。
結婚して数年が経ったころのこと。親戚が遠くに住んでいるので、私に何かあったとき、おさづけを取り次いでくれる人が身近にいないことに、ふと気づきました。
夫に不安を打ち明けたところ、自ら別席を運び、ようぼくの仲間入りをしてくれたのです。また、夫は劇画『教祖物語』などを通じて教えに親しむように。さらに、年に何度もおぢばに連れていってくれるようになったのです。
夫婦そろって本部神殿で参拝すると、一番幸せを感じます。このとき、いつも親神様に「夫婦二人で帰ってくることができました。ありがとうございました」と心の中で感謝を申し上げています。
年祭に団体列車で帰参した思い出
関本 啓さん
72歳・鶴賀城分教会長・福島県会津若松市
私どもの教会がある東北地方など、遠方から団参する際、近年はバスやワゴン車での移動が主流になっているが、教祖100年祭ごろまでは団体列車を編成していた。向かい合わせの座席に座り、系統の異なる教友たちと、長時間にわたりワイワイ楽しく話しながら、おぢばへ向かったのは良い思い出だ。
私が経験した最後の団体列車でのおぢば帰りは、教祖110年祭のとき。支部で帰参を計画し、スタッフの中心メンバーとして準備に奔走した。旅行会社との打ち合わせ、参加者の募集などさまざまな苦労はあったが、無事におぢばに到着し、本部神殿でお礼参拝をしたときの喜びは忘れられない。
団体列車での帰参とはいかなくとも、教祖140年祭には一人でも多くの人と帰参できるように頑張りたい。
周囲の人に声かけを続けるなか
髙畑育代さん
58歳・江住分教会白浜布教所教人・和歌山県白浜町
幼いころから病気がちだった息子を連れて、月に何度か天理よろづ相談所病院へ通っていた時期がありました。
あるとき、布教所長さんから「せっかくおぢばに帰るのだから、通院だけを目的にしてはいけない。教祖が喜んでくださることをしては」と助言を受けました。以来、病院へ行くときは親戚やご近所に声をかけました。嫌な顔をされても、お土産を渡すことを心がけました。
そうするうちに、義母がようぼくの仲間入りを果たし、息子は天理高校第2部へ進学してくれました。息子の病気は完治していませんが、現在、会社員として元気に過ごし、毎月のおぢば帰りを続けています。
布教所長さんのひと言が、いまの結構な姿につながっていることに、感謝の思いでいっぱいです。
わが師を仰いで
妻に委ねて信仰の道へ
小長谷啓太
48歳・華越一分教会ようぼく・名古屋市
結婚を機に信仰を始めたものの、教えの理解が乏しく、漠然とした不安があった。そんな私に対して、所属教会の前会長である義父が「娘の言う通りにしていれば大丈夫。すべて、うまくいくから」とアドバイスしてくださった。
以来、折々にこの言葉を思い出してきた。妻は私に気を使い、お供えや行事参加について相談してくれたが、すべてを妻に委ねてきた。おかげで、いま結構にお連れ通りいただいている。
義父は、難しく考えなくていいと、軽い気持ちで声をかけてくださったと思う。その言葉に私は救われた。これからは、人生に思い悩む人と出会ったときに、安心してもらえる言葉をかけられるようになりたい。
みんなのイチオシ
10月9日号から11月13日号までの紙面の中から、読者の関心が高かった〝イチオシ記事〟について、寄せられた感想を紹介する。
“心の修養道場”第1000期の節目 – 修養科
(10月16日号1面)
・数年前、初めて志願した修養科で気の合う友人ができました。特に身上の悩みなどはありませんでしたが、友人と語らい、ひのきしんに汗を流すうちに、以前よりももっと健やかな心身をご守護いただき、感激したことを思い出します。(40代女性)
・修養科を修了してから30年余りが過ぎた。父の出直しをきっかけに志願するなか、体調を崩すことがあったが、周囲のおかげで楽しい3カ月を過ごせた。記事を見て、同期の仲間のことを思い出し、郷愁を覚えた。(60代男性)