ひとつがすべてに – 成人へのビジョン30
2024・11/27号を見る
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いつのころからか、私の頭の片隅には、ある言葉が居続けています。普段は小さくしているけれど、何かのときにはふと浮かぶ、ちゃんと質量を伴った言葉。それは「子供の哲学を忘れるな」です。
ネットで検索しても不思議とヒットしません。誰の言葉なのか、どこで耳にしたのか、何も分からない。まるで神話のように起源が明かされることのない、神託にも似た、簡潔な命令文。私はこの言葉を「人はなぜ生きるか。死んだらどうなるか。宇宙に果てはあるのかなど、素朴で根源的な問いを心のどこかに持ち続けること」と理解しています。
子供のころ、こんなことを考えました。「人間の体内には無数の細胞があり、無数の菌が住んでいる。菌は、自分たちが人間の体の一部だなんてことには気づいていない。だとしたら、この地球も宇宙の臓器の一つであって、僕たちはその臓器を構成する細胞の一つにすぎないのではないか」。私はこれを「人間細胞説」と名付けました。
子供の哲学は大人になっても続きます。「宇宙がビッグバンによって誕生し、その後にあらゆる物質やエネルギーが発生した。元は一つだった。一つのものからいろんなものへと分化した。――それって、たった一つの受精卵が細胞分裂を繰り返して、さまざまな臓器や部位を形成していく、人間の個体発生の過程と似ていないか」。こうして私は「万物細胞分裂説」を唱えるようになりました。
分化しきった爪と髪の毛が、かつて同じものだったとは思えません。けれど元をたどれば一つの受精卵に行きつく。同じように、宇宙のあらゆるものは、ばらばらに感じられても、元は一つだとする世界観です。けっこう感動的な仮説(?)だと思うのですが、どうでしょうか。
素朴な疑問を大切にする私は、お道の教えに再び感動します。私たち人類は「一れつ兄弟姉妹」。そして、その兄弟姉妹たちは等しく「親神の懐住まい」をしている。そこに「他人」や「他所」は存在しないのです。
漢字を羅列した私の説と比べ、おやさまの教えやお言葉からは、すっと心地よい風を感じます。そんな世界に住みたいと願うのは、きっと私たち信仰者だけではないはずです。
可児義孝・河西分教会長