自分にできる御用を求めて – 読者のひろば
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
平本トミ子(86歳・埼玉県狭山市)
信仰初代の両親が開設した布教所で育ちました。
3年前、突然、耳の中で轟音が鳴り響いて止まらなくなりました。病院を受診するも、異常はなし。途方に暮れるなか、所属教会の会長さんから、修養科を勧められ、その翌日からおぢばでの生活をスタートさせました。
修養生活が10日ほど経ったころ、不思議なご守護を頂き、轟音が聞こえなくなっていました。この身上を機に、教祖におぢばへ引き寄せていただいたこと、健康でいられることの有り難さを、あらためて実感しました。
当時は「諭達第四号」が発布されて間もなかったこともあり、教祖140年祭に向けて自身の通り方を見つめ直し、充実した3カ月間を過ごすことができました。なかでも、授業の中で先生が「『御用はありますか』と聞かれるのは、教会長の立場として、とてもうれしいこと」と話していたことが心に残り、「私も何か御用をさせてもらおう」との思いを強くしました。
修了後、所属教会を訪ね、自分にできる御用はないかと、会長さんに尋ねました。すると、会長さんは「では、一緒に路傍講演をしてみようか」と笑顔で提案してくださいました。
以来、会長さんと毎日、街頭に立っています。私は路傍講演をする会長さんの横でリーフレットを配ることくらいしかできませんが、低い心で通ることの大切さを学ばせてもらっています。
毎日の布教実動の中で、体を使わせていただけることの有り難さと喜びを感じています。これからも一日一日を大切に、教祖のひながたを少しでもたどらせていただきたいと思います。